第1495日目 〈「聖しこの夜」Silent Night,holy night, のお話〉 [日々の思い・独り言]

 1818年というずっとむかしむかし。オーストリアはザルツブルク郊外、オーバーンドルフという村でのお話です。

 一年の仕事も終わり、後はクリスマスを迎えるだけだった村の人々の間で、気がかりな噂が流れました。
 ――教会のオルガンが故障したらしいよ。
 ――今年のミサは中止になるかもしれないなァ。
 人々は寄ると触るとそんな話を繰り返し、「あ~あ」とがっかりしていました。

 そんな噂を耳にした、牧師補のヨゼフ・モールさんは頭を抱えていました。だってその噂、本当だったのですから! 一年に一度の、聖なる夜のミサができない……さぁ、一大事です!
 モール牧師補は考えに考えた末、そうだ、と膝を叩いて知人のオルガン奏者、フランツ・グルーバーさんに助けを求めました……「こういうわけだから、おいらの書いた詩に曲をつけてくれッ! 大至急だ!!」と。
 よしきた、とグルーバーさんが二つ返事で引き受けたかわかりませんが、とにかくこの人はモール牧師補のテノールと自身のバス、ギター伴奏で歌える歌を作曲しました。なにしろクリスマスは間近です。のんびりとなんてやってられません。グルーバーさんはうんうん唸りながら、一つの素朴で美しい音楽を書き上げました。

 それが「聖しこの夜」なのでした。

 その年のミサの最後に世界初演されたこの曲は、教会に集まった会衆の心に深く染み渡りました。だってみんながみんな、このように純朴で歌いやすい、それでいて深い喜びのある歌を知りませんでしたから。
 その後、たまたまこの村へやってきていたチロル地方のオルガン修理工によって村の外へ持ち出され、「聖しこの夜」はあちらこちらで歌い継がれるようになってゆきました。遠く大西洋を隔てたニューヨークでも、時を経ずして歌われるようになったことからも、この歌がどれだけ人々に愛されたかわかりましょう。

 にもかかわらず、なぜかそのうち、この歌の作詞者と作曲者は誰なんだろう? と人々は首を傾げるようになりました。モール牧師補もグルーバーさんも、ご自分のお名前を世に広めるつもりなくこの曲を書いたのですから、やがて誰かがそんな疑問を抱いて当然だったかもしれません。
 しかし、――初演から丸36年経った1854年12月30日、ベルリンにある王立礼拝堂に宛ててグルーバーさんは一通の手紙を認めました。ついにグルーバーさんは口を開いたのです……「聖しこの夜」はモール牧師補が詩を書き、自分が作曲したのです、と。

 以来、この美しいクリスマス・キャロルは時を越え所を越え、キリストの生誕と世界の平和を祈る人類の最大の宝のように歌い継がれております。

 オーバーンドルフ村にある<サイレント・ナイト・チャペル>では、いまでもクリスマスになると初演の時と同じように、テノールとバス、ギター伴奏によって歌われ、ついで、集まった人々に合唱されている、とのことです。◆

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