第1679日目 〈知恵の書第8章2/2:〈知恵に対するソロモンの愛〉withロリン・マゼールは好きではない指揮者であった。〉 [知恵の書]

 知恵の書第8章2/2です。
 
 知8:2-21〈知恵に対するソロモンの愛〉
 わたしは若い頃から知恵を愛し、わが花嫁にせんと努めてきた。
 知恵は、その働きによって人に徳を得させる。徳とは即ち、節制と賢明、正義と勇気である。人生にはこれらに優る徳はない。知恵がそれらの徳の造り手なのだ。
 知恵あればこそ、わたしは若者ながら長老たちの尊敬を得られた。裁き手としてはその鋭さを認められ、権力者たちから驚嘆の眼差しを向けられた。わたしは知恵によって不滅の存在となり、歴史と人の記憶に残る者となった。
 「知恵と縁を結べば死を免れ、/知恵と交わす愛には優れた楽しみがあり、/その手の業には量りがたい富がある」(知8:17-18)と、わたしは思うた。賢明とされるのは、知恵と語り合うこと。名誉とされるのは、知恵と言葉を交わすこと。そうわたしは思うた。
 わたしは善良だった。そうして清い体の持ち主だった。それゆえ知恵はわたしの体に入ったのである。

 「知恵は……世々にわたって清い魂に住み」(知7:27)と、「善良だったので、/わたし(という存在)は清い体に入った」(知8:20)は呼応する節というてよい。知恵はその時代その時代の清い魂の持ち主を宿り木とし、この時代清い魂を持つ体のあるじはソロモンであった、という解釈にでもなりましょうか。……牽強付会と揶揄されれば、まぁその通りですな、と頷くより他ないのですけれど、ね。
 これはソロモンによる知恵の讃歌であります。ソロモン王年代記、ソロモン王言行録のようなものを執筆、編纂するとしたら、一章を割いて知恵に触れ、そこでは本章の讃歌を取り挙げるべき、と思うのであります。



 そうか、マゼールってそんな年齢だったのか。なによりもまずそれを思わせた、先日の新聞に載った指揮者ロリン・マゼールの死亡記事。矍鑠とした振る舞いが脳裏に焼き付いており、齢80を迎えてなお精力的な活動を繰り広げていたことを思えば、そうした想いがいちばん先に浮かぶのは仕方ないところだろう。
 わたくしはマゼールの音楽が嫌いだった。際物にして色物めいたその音楽へ耳を傾けるのが、正直苦痛だった。クセとアクの強さが魅力だったのだろうけれど、まさにそれがわたくしをしてマゼールの音楽を忌避させる要因であったのだ。
 ベートーヴェン、シューベルト。ブルックナー、マーラー。シベリウス、チャイコフスキー。ワーグナー、ヴェルディ。プッチーニ、ビゼー。ウィンナ・ワルツ……。思い出せばきりがない。が、いずれもわたくしを改悛させるに至らなかった演奏である。
 正直なところ、マゼールの演奏で感銘を受けたのは、映画館で観たニューヨーク・フィルとの北朝鮮は平壌公演ぐらいだ。それとて背景に思いを馳せた結果であろう、と思うている。でもその後、マゼールを積極的に聴くことにつながったかというと……結果は、おわかりですね?
 ──カラヤン退任・逝去に伴うベルリン・フィルの後継争いに敗れて後、しばらくはその指揮台に立つことを避けたと雖も、あのとき選ばれたのがアバドではなくマゼールだったら、どうなっていただろう、と想像を逞しうすることはある。事実、そのポストにいちばん近かったのは誰よりもマゼールだったはずなのだから。が、そうはならなかった。マゼールが5代目の常任指揮者に就任していたら、BPOのサウンドやレパートリーはどのようなものになっていただろう。それだけを知りたかった、聴きたかった、というのが本音かな。
 個人的好き嫌いはいまは置いておくとして、今度の連休は少しく時間を割いて、架蔵する数少ないマゼールのCDを聴き、かれの足跡と功績に敬意を表すとしよう。意識の変化と新たな(今更ながらな)発見があるかも知れぬ。◆

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