第1693日目 〈今年の夏は、チャールズ・ディケンズを読もう!〉 [日々の思い・独り言]

 ディケンズだよ、兄弟、チャールズ・ディケンズを読むんだ! 長い小説を読み書きしたいんなら、ディケンズとドストエフスキーを読むに限るよ!
 バーで黒ビールをしこたま飲んでいたとき、隣に座る知人が突然そう叫んだ。ふむ、ディケンズか……ディケンズね! わたくしもそう返して、唇に付いた泡を腕でぐい、と拭って、カウンターにジョッキを置いた。どすん! そうしてわれらは声を合わせて叫ぶ、チャールズ・ディケンズ! ……。
 この世にディケンズを知らぬ者が果たしているだろうか。否;否である、と信じたい。
 この世にディケンズを読んだことのない者がいるのだろうか。残念ながら答えは「諾」だ。嗚呼、これは実に哀しく、不幸な出来事だよ、オリヴァー!
 いちばん知られたディケンズ作品がなにか、と訊かれれば、ほぼなんの迷いもなく「クリスマス・キャロル」と返事するだろう。これ以上に人口に膾炙した作品があるとは思えぬ。
 その物語のあらすじはよく知られているが、ディケンズの筆になる小説があまねく読まれているゆえではない。今日の人々が本作がどのような話か知っているのは、映画やテレヴィ・ドラマなどを通して得た知識に基づいている。まず間違いはないだろう。良くても、子供向けにリライトされたものを読んだが精々で、ディケンズの原作に直接触れた人は、どちらかといえば少数派ではないか。
 「クリスマス・キャロル」でさえ、その為体である。その他の長編はまさしく有名無実。名のみ知られて実は読まれていないものが目白押し、という点では、かのシェイクスピアやゲーテに並ぶだろう。
 どうしてディケンズは読まれないのだろう。長いのか。古めかしいのか。退屈なのか。或いは、その他の理由か。欧米諸国の小説家たちが尊敬し、称賛を寄せるチャールズ・ディケンズ(最右翼はジョン・アーヴィングかな、やっぱり)。外国の、しかも19世紀の小説ということでなおさらこの国の読者には馴染み薄い存在なのかもしれないが、この人こそ読まずにいるのは勿体ない、というにふさわしい作家はない。敬遠する人がいるならわたくしは、早まるな、と去りゆく人の肩を摑み、力尽くで引き留めたい。
 でも、ディケンズの小説って長いよね? うん、否定はしない。代表作の一つ『デイヴィッド・カッパーフィールド』なんて新潮文庫版で全4巻だ。ちくま文庫に入る『荒涼館』も同じく全4巻の大長編である。
 だけど、それがまた魅力なんだよね。あの長い長い作品のなかでわれらは人生を味わう。ハラハラドキドキし、トキメキとワクワクを体験する。時には紅涙を搾り取られることもある。文字通りの、ザッツ・エンターテインメント。古色蒼然としているのも作者の生きた時代を考えれば否めぬ点で、ただその代償というべきか、そこで語られるストーリーは実に普遍的で、今日われらが日常で接する物語類型の原型にして頂点というべきものである。
 そこまでいうなら読んでみたい気もするけれど、19世紀の作物ということでディケンズの小説を退屈に感じたりはしないかな? ──とんでもない! 過去の文学が軒並み退屈だなんて思わないでいただきたい。すくなくともわたくしは、(すべてを読んだなんて恐ろしいこと、さすがに嘘でもいえないが)これまでディケンズ作品を何作か読んで、つまらなかった、退屈だった、なんて感想を抱いたことはない。『二都物語』や『荒涼館』はいったい何度読み返したことか知れぬ。仄聞するところに拠れば、この2作は夙に愛読者の多い作品である云々。本当に退屈な小説であるならば、21世紀の今日まで絶えることなく読まれ続けてきたわけがあるまい。
 チャールズ・ディケンズの小説は、今日の小説が忘れてしまったエンターテインメント精神に満ちている。息継ぐ暇もない程の展開の早さ、海千山千の登場人物たちの個性豊かさ、興奮と歓喜と感動の絨緞爆撃。……まさにディケンズは物語本来のおもしろさをじゅうぶんに堪能させてくれる、<小説>という娯楽の輝ける金字塔的存在といえる作家であります。
 さいわいとちかごろ、『二都物語』の新訳が新潮文庫から出、白水uブックスから『エドウィン・ドルードの謎』が出た。翻訳は、前者が加賀山卓朗、後者が小池滋。そうしてなんと、白水社からクレア・トマリン著『チャールズ・ディケンズ伝』(高儀進・訳)が出た。これは、待望の刊行である。
 新しい読者のための門戸は開かれ、ディケンズ読書の環境は再び整えられつつある。この英国最大の、否、世界文学最大級の小説家に親しく取り組んでみる好機到来。今年はじっくりディケンズを愉しむ夏と洒落てみてはいかがだろうか?
 最後の最後で下世話な話をして恐縮だが、ちなみにわたくしの好きなディケンズの逸話は、小説を書いていないときは妻と子作りに励んでいた、というものである。スティーヴン・キングが自著『小説作法』(アーティスト・ハウス)で紹介していた。◆

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