第1767日目 〈シラ書第48章:〈エリヤ〉、〈エリシャ〉、〈ヒゼキヤとイザヤ〉〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第48章です。

 シラ48:1-11〈エリヤ〉
 預言者エリヤはヨルダン川東岸、ギレアド地方ティシュベの人。かれは北王国の王のうちで最悪な者の一人、アハブ王の御代に登場し、次のアハズヤ王の御代に天へ召された。弟子エリシャの見守る前で、突然来たった日の戦車によって嵐のなかを天へのぼっていったのである(王下2:11)。
 エリヤは干ばつと飢饉によって民を苦しめ、寄留した先の家の死者をよみがえらせ、偽りの預言者を退けた。シナイ山で主の非難の言葉を聞き、ホレブの山で裁きの宣告を受けた。アラム人ハザエルに油を注いで対イスラエルの頭とし、ニムシの子イエフに油を注いで北王国の王とした。また、アベル・メホラに暮らす者ファトの子エリシャに油を自分の後継者とした。互いに報復させるためである。
 ああ、エリヤよ。あなたは書き記されているとおり、<定められた時に備える者>。神の怒りが激しくなる前に声を鎮め、父なる主の心をわれら神の子へ向けさせ、ヤコブの12部族を立て直してくれる者。
 「あなたを見る者、/また愛のうちに眠りについた者は幸いである。/確かに、わたしたちも生きるであろう。」(シラ48:11)

 シラ48:12-16〈エリシャ〉
 火の馬に引かれた火の戦車によって、エリヤは嵐のなか天へのぼっていった。それを、かれによって頭へ油注がれたエリシャが見届けた。エリシャはエリヤの霊に満たされた。
 かれは生涯、どのような権力にも、どんな支配者にも屈しなかった。かれにとって手に余ることはなにもなく、死後も力を失うことなく預言を行った。かれのふしぎな業は実に死後にまで及んだ。
 が、斯様な尽力にもかかわらず、民が罪から離れることはなかった。それゆえにこそ、北王国に住まう者は皆、祖国から連れ去られてゆき、地の至る所へ散らされたのである。
 以後、かつてカナンと呼ばれた嗣業の地に住むのはダビデ王朝の血脈を伝える王たちとその臣下、その民草、即ち南王国ユダの者たちだけとなった。ダビデの家の支配者たちのなかには、主の目に正しいと映ることを行う者もいたが、それ以上に罪を重ねる者が多かった。

 シラ48:17-25〈ヒゼキヤとイザヤ〉
 南王国ユダの王ヒゼキヤは前王アハズの子。王都エルサレムに於いて29年間、王位に在った。
 かれは父祖ダビデが行ったような、主の目にかなう正しいことをことごとく失った。都の防衛を固め、水道を敷き、用水路を整備した。国内にあった異教の神の礼拝物を排除した。また、聖なる高台やモーセの作った青銅の蛇であっても、異教の神の礼拝に使われたものは、すべて打ち壊した。
 やがてユダはアッシリアの脅威に曝された。アッシリアの王センナケリブはラブサケ(ラブ・シャケ)を派遣、心胆寒からしむる言葉をユダに向かって吐き、その臣民を震えおののかせた。ユダの民は皆、主に祈って助けを求めた。そうして、──
 「聖なる方は天から直ちにその願いを聞き入れ、/イザヤの手によって彼らを救い出された。」(シラ48:20)
──斯くしてアッシリアは撤退したのである。
 ヒゼキヤ王の歩んだ良き道は、まことイザヤが預言したとおりだった。預言者イザヤは受けた啓示に忠実な、偉大な人である。
 「イザヤは大いなる霊によって終末の時を見つめ、/嘆き悲しむシオンの人々を励ました。/かれは永遠に及ぶ未来のこと、/隠された事を、それが起こる前に示した。」(シラ48:24-25)

 エリヤの事績は王上17:1-19:21,同21:17-24、王下1:15-17,2:1-11に載る。
 エリシャの事績は王上19:19-21,王下2:1-25,3,11-19,同4:1-8,15,同13:14-21に載る。
 ヒゼキヤの事績は王下18:1-20:21、代下29-32に載る。
 イザヤ(第一イザヤ)の事績は王下19:2-7,20-34,同20:1-11,14-19に載る。預言者イザヤの事績については「イザヤ書」も参照のこと。
 旧約聖書最大の預言者ともいわれるエリヤはアハブ王の御代に生きた。両者がかかわるなかでいちばん有名なエピソードは、いわゆる<ナボトのぶどう畑>であろう(王下21)。
 アハブ王は宮殿近くにあるナボトのぶどう畑を欲したが、断られた。それを知った王妃イザベルが奸計を巡らせてナボトの謀殺に成功した。妻から、ナボトは死んだからいまこそ畑を自分のものにして来い、と促されて意気揚々と畑へ向かう。そのとき、エリヤに主の言葉が臨み、王に滅びの預言を伝えた。イザベル妃はイズレエルの城壁のなかで野犬の餌食となり、王の子らもろくな死に方はしない、王よあなたは勿論である、と。アハブ王はこれを聞いて悔いて主の前にへりくだり、それゆえかれ自身に災いが降されることはなくなった(王下21:17-29)。しかし、王はアラムとの戦いのなかで戦死した(王下22:1-40)。
 とりわけ、この挿話のなかで印象的なのは王と預言者が出会ったときの会話──アハブはいう、「わたしの敵よ、わたしを見つけたのか」と。エリヤは答える、「そうだ。あなたは自分を売り渡して主の目に悪とされることに身をゆだねたからだ」と。……斯様に緊迫感のある台詞、聖書を通読していてもなかなか出喰わせるものではない。
 エリヤの件りで一つ気にかかるのは、イエススが「あなたは書き記されているとおり、/定められた時に備える者」(シラ48:10)と書く点である。これは12小預言書の一つ、「マラキ書」第3章第23節の記述に対応する。これ以外の根拠はなにもないが、イエススはなんらかの形で「マラキ書」の内容に接していたのかもしれない。エリヤが旧約聖書最大の預言者とされるのは、旧約聖書のみならずこの続編、新約聖書の諸書にまでその名を留め、再来を期待される者なるがゆえであろう。◆

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