第1832日目 〈2015年にしておきたいこと。〉 [日々の思い・独り言]

 さだまさしの番組を観て、吉田拓郎を聴いて新年を迎えているみくらさんさんかです。2015年になりました。和暦では平成27年です。あけましておめでとうございます。今年もどうぞ本ブログと筆者をよろしくお願い申しあげます。
 元日から更新時間が2時間遅くなり、済みませんでした。今日から感想を書くつもりでいた続き物の小説を読んでいたら、すっかりこんな時間になってしまいました。いまから本来書く予定だったエッセイを書くのも難しいので、まずは新年のご挨拶を以てお茶を濁すことになってしまいました。
 それはさておき、2015年の目標というか、やっておきたいことはなんだろう、と、仕事納めの昨年12月30日から考えていました。現名義での著書出版を目指したい、グラウンド・ゼロに行ってみたい、などありますが、よくよく考えてみたら部屋の大掃除を継続・実施させてゆかなくてはなりませんね。
 いまわが部屋には粗大ゴミに出すヒューレットパッカードのプリンタが箱に詰めてあったり、ScanSnapを使って自炊する予定の雑誌やパンフレットが山を作っている。また、本棚や床には処分を検討している本があり、過去約25年間に書いて書いて書きまくった書簡のファイルをしまった段ボール箱がある。書いているだけで溜め息が出、頭を振って呆れてしまう。
 書簡ファイルについては、思い出すも恥ずかしい艶文や他人の目に触れさせてはならない往復書簡もある。ファイルに収まる書簡の一切をわたくし以外の者が読むのを禁ずる。そう考えたとき脳裏へ浮かんだのは、出家を決めた光る源氏の君が庭で紫の上からの手紙を燃やす場面であった。『源氏物語』の「幻」にそういう場面があった。
 ──50余冊のファイルに収まる書簡に目を通して、残すに足るものだけを残して他はすべて(自分が書いたものであっても相手から届けられたものであっても)シュレッダーしてしまおう。
 何だ彼だといってもわたくしは既に人生の半分を過ぎた年齢の者だ。後腐れのないように、残された人が困らないように、死後の恥辱を味わわぬように、人生の荷物の整理を行っても良い時期だ。
 そのようにして処分を免れた書簡は再びファイルにまとめられるが、わが故郷に留め置かれるのか、或いは他の地方の所縁ある町の所縁ある場所に収められるのか、スウェーデンの元カノとその娘に送られて管理を依頼するのか、いずれかは未定である。が、幸いなことに、いずれの場合も相手の快諾を得られているので、その点に関して不安が解消されていることに、わたくしは胸を撫でおろしてている。これで安心して作業に取りかかれるというものだ。
 2015年に行っておきたいことが部屋の断捨離以外にどうしても1つあるとすれば、この書簡ファイルの整理ぐらい。最近物欲がないので「欲しい!」と思える物が思い浮かばないのだが、敢えていうならiPadとMacBookProとAppleWatchか。Apple製品ばかりというのが、なんというかアレだが、他に魅力を感じる製品がないのだから、これは当たり前のチョイスですね。むろん、その場に応じてどうしても欲しい物は幾らも出てくるだろうが、いまはそれについて喧々すべきときではありません。
 もはや現状維持を第一に望む、すっかり保守的な自分だけれど、自分を前進させてくれる変化ならいつでも歓迎する。◆

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