第2170日目2/2 〈コリントの信徒への手紙・二第3章:〈新しい契約の奉仕者〉withiPhone7 Plusに256GBモデルが検討されている、という噂に寄せて。〉 [コリントの信徒への手紙・二]

 コリントの信徒への手紙・二第3章です。

 二コリ3:1-18〈新しい契約の奉仕者〉
 われらの活動にはあなた方からの推薦状が必要でしょうか。或いは、あなた方へ宛てた誰かからの推薦状が必要でしょうか。いいえ、それは必要ありません。
 「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。」(二コリ3:2-6)
 死に仕える務めさえ栄光を帯びるなら、霊に仕える務めは尚更栄光を帯びるはず。人を死に定める務めが栄光を纏うなら、人を義とする務めは尚更栄光を纏うはず。かつて栄光を与えられていたものも、遙かに優れた栄光のためにいまや霞んで失われている。このように、消え去るべきものが栄光を帯びていたら、永続するものは尚更栄光に包まれているはず。違うでしょうか。
 われらはこうした希望を抱くから、確信に満ちあふれて振る舞っています。かつてモーセは、消え去るべきものの最後をイスラエルの民に見られまいとして顔に覆いを掛けました。われらはそのようなことはしません。
 が、イスラエル/ユダヤの民の考えは鈍り、今日に至るも律法が読まれるときは心に覆いが掛けられたままになっています。覆いが取り除かれるとすれば、キリストへの信仰に基づいて律法を理解するときであります。主なる方の方へ向けば覆いは取り除かれる、というのはこういうことなのであります。
 「ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(二コリ3:17-18)

 使徒の推薦状は教会であり、信徒である──少し長い引用になりましたが、パウロは本章に於いて喜びと自信を持って書き綴っています。その上で新しい契約に仕えるための資格や、霊に仕えることで身に纏う栄光について触れる。
  では、この新しい契約とはなにか、といえば、最後の晩餐の席でイエスがぶどう酒を注いでの台詞、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」(ルカ22:20 ex;マタ26:28、マコ14:24、一コリ11:25)に基づいて、人類の罪を赦すものである、とわかります。なぜならば、イエスはすべての人の罪のため、自身は罪がないのに十字架に掛かって血を流したから。
 パウロの説く神学は時に<十字架の神学>と呼ばれます。当初はその概念などよくわからぬままでいたのですが、こうして書簡を読み進めてくるに従って折節この点を考えるようになると、だんだんと、朧気ながら弱々しくもその輪郭が見えてき、内容が窺えてきたように思えるのです。傲慢とも尊大とも一知半解とも中傷されたって構いません。ただ、わたくしは本心から斯く思うのである、と言葉を返すのみであります。そうして返答するわたくしを支える感情は、喜び以外にありません。
 ところで、かつて栄光を与えられたものもいまは遙かに優れた栄光が現れたゆえ霞んで失われている、というのは(二コリ3:10)、なんともわが身につまされる一文でありました……。

 本日の旧約聖書は二コリ3:7と出34:29-30、二コリ3:13と出34:34-35。



 2016年に発売が噂されているiPhone7ですが、まぁ、ヘッドフォン端子がなくなり付属イヤフォンがBluetooth接続になるという点はさておくとして、iPhone7 Plusには256GBモデルがラインナップされているという噂、実現するのでしょうか。
 個人的には実現されてほしい! だって、音楽プレーヤーとしてのiPhoneがいまの自分には手放せなくなっており、片っ端からCDを取り込み、iTunesで購入していること、先日のご報告通りだが、事態は更に逼迫、そろそろ他に支障を来しそうだからであります。
 今日も靴を買いにちょっと離れたショッピング・モールへ出掛けたのですが、そこのブックオフにてベーム=BPOによるモーツァルト後期6大交響曲のCDを発見、序でにAKB48のアルバム2枚(210円+税)も購入。ベーム=BPOによるモーツァルトに関しては、先達ての懸案事項に終止符を打つ形になったわけだから、思わず「わお!」とか「アメイジング!」とか心のなかで叫んじゃいましたけれどね。
 計4枚の音盤を本日新たにiPhoneに取り込んだら、容量は残り25GBであったよ……。ビートルズの全アルバムを取り込むのに、この容量は問題ありなのかなぁ、と不安になってきたりしてね。冒頭のiPhone 7 Plusの話題が生まれたわけです。
 音楽プレーヤとなればAppleでは本来iPodになるはずなのだが、今更ながらiPod Classicを2台ぐらい買いこんでおけばよかった、と悔やまれてなりません。160GBって、ワーグナーの全オペラ(初期作品含む)に加えて交響曲と独立した管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲が概ね収まるぐらいの化物じみた容量なのですよ。いまのわたくしの悩みなど、芽を出して深刻な事態を自覚させる程育つのは何年もあとのことだと思いますね──。
 iPhoneではなく、iPod touchの容量が256GBに増えてくれれば、わたくしとしては申し分ないのだが。悩ましいなぁ……。◆

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