第2215日目 〈YouTubeで懐かしの洋楽を試聴しよう!(その3)〜Bryan Ferry"Don't Stop The Dance"〉 [日々の思い・独り言]

 1980年代、洋楽に目覚めた10代の少年少女が情報源としたのはFM誌とFM放送、レンタルレコード、映画、『ベストヒットUSA』、MTVでなかったろうか。他の地方はいざ知らず、わが故郷はTVK(テレビ神奈川)がなんの苦労もなく視聴できたエリア。夜も一定の時間を過ぎると洋邦のアーティストのPVが流れて、好む好まざるとにかかわらず、多くのアーティストを知ることができたものじゃ。番組名は忘れたけれど、夕方にも洋楽のPVを流すことがあったっけ、TVKは。
 たしか金曜日の夜に放送されていた『SONY MUSIC TV』だったと思うが、或るとき、いつものように寝ぼけ眼をこすりながら観ていたら、その眠気を一気に吹き飛ばすようなPVが流れてきた。色調は全体的に暗めで、艶めかしく体をくねらせる女性、硬質でやたらクセがあるけれどもすぐに脳裏にこびり付く歌声、優男というべきか伊達男というべきか、とにかく端整な顔立ちの歌い手(ややナルシストの傾向あり)。それまで聴いたことがないようなアダルトな音楽に、思わず口をあんぐり開けてブラウン管のなかの映像に見入り、流れてくる音楽へ耳を澄ませたのを覚えている。
 件のPVこそ本日ご紹介のブライアン・フェリー「ドント・ストップ・ザ・ダンス(Don't Stop the Dance)」。ロキシー・ミュージック2度目の解散後の1985年、6枚目のソロ・アルバム『ボーイズ・アンド・ガールス』からのシングルカット曲である。同年には富士フイルムのビデオテープのCMに、2002年には日産プリメーラのCMに使用された。
 ──しかし、これには打ちのめされたね。それまで聴いてきたアメリカン・ロックや今日でいうJ-Popとはまるで毛色の異なる曲だったから。自分の乏しい音楽経験を総動員してもこれに匹敵するものはなかったし、同様に乏しく未熟な来し方に於いても。いまならそのPVに接したときの第一印象に「デカダン」という言葉を与えることができる。が、そんなボキャブラリーを持たない10代中葉の少年にとって「ドント・ストップ・ザ・ダンス」は大人な音楽の世界を垣間見させる、少々刺激の強い曲としか言い様のないものだったのだ──。
 顧みればこの曲が、明確に覚えている限り初めて聴く英国籍の洋楽であったな。まだビートルズもローリング・ストーンズも、エルトン・ジョンもエリック・クラプトンも、すくなくともそれと意識しては聴いたことのない頃だったからね(とはいえ、カルチャークラブを知る時期はすぐ目の前に迫っていたのだが)。まぁもっとも英国籍の洋楽との第一種接近遭遇がブライアン・フェリーだったというのも、われながらいったいどんなものなのか、とは思うけれど。
 高校へ入学するとお小遣いの額は少し上がった。新しい学校では何人かの洋楽好きを見出すことができた。中学時代に使っていたレンタルレコード店はいつの間にか潰れていたが、地元商店街のレコード店は健在、しかも乗り換えに使うターミナル駅周辺には何軒かのレコード店が存在していた(中古レコード店2軒を含む)。そんな環境のなかでわたくしは、おそらくはまわりの音楽好きもそうだったろうが、欲しいLP、聴きたいLPを、吟味に吟味を重ねて選んで購入していった。手が回らない部分はFM誌の番組表を隅から隅まで目を通してエアチェックするか、持っている友人知人を探してダビングさせてもらったりした。
 ロキシー・ミュージックはもとよりブライアン・フェリーは誰彼のお世話になってレコードを聴いたアーティストだ。が、そもそもの持ち主を辿ろうとしてもどうしたわけか記憶から欠落している。ごっそり抜け落ちているのだ。フェリーについては前述『ボーイズ・アンド・ガールス』の他『ベールをぬいだ花嫁』(1978)を聴いた覚えはあるし、ロキシー・ミュージックについても1982年発表の『アヴァロン』は聴いている。にもかかわらず、「聴いた」という記憶以外にはなにもないのだ。「ドント・ストップ・ザ・ダンス」のPVはあれ程しっかりとカット割りやアングルに至るまで覚えていたというのに。やはり映像を伴うと記憶への残り方は著しく高い率を示すのかしらん。
 では、1985年の洋楽シーンを代表する1曲、未だ魅力の褪せることなきブライアン・フェリーの「ドント・ストップ・ザ・ダンス」をYouTubeでどうぞ、──

 次回はカルチャークラブの名曲「カーマはきまぐれ(Karma Chameleon)」を。但し、気紛れに更新するゆえ、すべてに於いてお約束は致しかねる。◆

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