第2236日目 〈ペーター・マーク「ベートーヴェン交響曲全集」を聴きました。〉 [日々の思い・独り言]

 東武レコーディングの太鼓持ちとか思わないんでほしいんだけど、ペーター・マーク=パドヴァ・ベネト管弦楽団(ヴェネト州立パドゥヴァ市管弦楽団)他によるベートーヴェン交響曲全集もすごいんだよ、というお話。
 リマスタリングの勝利なる点についてはモーツァルトの場合と同じ感想なのだが、劇的に印象が変わったのはむしろこちらの方で、殊第5番と《合唱》に関しては目から鱗が落ちたような感銘を味わっている。わたくしはマークのベートーヴェンを生で聴いたことはないけれど、それでもマークという指揮者への先入観からかれのベートーヴェン演奏を見下していたように思う。おそらくは骨格のがっしりした楽聖の交響曲はマークの不得手に分類されるものなのではないのか、という思いこみ。が、実際のところは然にあらず。今回東武レコーディング盤に改めてゆっくりと耳を傾けてみて、なんだ案外とマークと楽聖の相性は良いではないか、と思い直した次第。
 その契機となったのが第5番と《合唱》であるのは先に触れた。前者の懐深く推進力抜群の演奏、後者の雄々しくも祈りと喜びに彩られた演奏。それらについてわたくしは果たしてARTSのオリジナル盤を聴いた20代後半のときに感じ取っていたであろうか。たしかにベートーヴェン演奏には非力な小編成のオーケストラかもしれないよ、ヴェネト州立パドゥヴァ市管弦楽団は。ならばフル編成のオーケストラならばどこだって<傑作の森>以後の交響曲を誰もが望むような形で、響きもテンポも申し分ない超弩級の演奏ができるのか。勿論、「否」である。たとえば《合唱》。第2楽章など聴いてごらん。ブラインド・テストをしたら有名な誰彼の演奏であるなど錯覚され、実際優れた演奏と評価されるに違いない。それ程にペーター・マークは凄みのある音楽をオーケストラから引き出しているのだ。
 この全集以前にペーター・マークにベートーヴェンの交響曲の録音があるのか寡聞して知らないが、モーツァルトやメンデルスゾーンで馴染んだのとは一風異なった、まるでそちらとは別人の如き演奏を堪能できるとなれば、かれが自身の実力に見合ったオーケストラとコンビを組んでベートーヴェンの交響曲をセッション録音してくれなかったことをつくづく惜しんでしまうのは宜なるかな、というところであるまいか。これが指揮者本人には無礼な発言であるのを承知してなお、そんな恨み節の1つ2つも繰りたくなるのだ。
 指揮者としてのキャリアを顧みたとき、わたくしにはペーター・マークとクラウディオ・アバドがコインの表と裏のように映って仕方ない。2人とも若い頃から頭角を現して、将来を嘱望されることでは同世代の指揮者から一頭地を抜いていた。レコード会社もかれらの実力を看破してレコードを作り広告媒体を駆使して大いに売り出した。そうしてかれらは次世代エースとして愛好家の間で認識され、注目を集めてゆく。
 が、或る時点でマークとアバドの指揮者人生はまったく違う方向へ分岐した。マークはキャリアを抛って香港の禅寺にこもって2年間修行、ヨーロッパ楽壇に返り咲くも次第に(すくなくとも傍目には)ぱっとしない活動を続け、いつしか中央から離れて地方のオーケストラ相手に活動するようになった。行く先々のオーケストラとは良好な関係を築きこそすれ。注目を集めるようなオーケストラのポストに就くことはあまり望まなかった様子である。まぁ、「悠々自適」といえばそうとしか言い様のない、マークらしいといえばそうとしか言い様のない活動。アバドもベルリン・フィル勇退後はマークとはやや違う意味で「悠々自適」といえる活動を繰り広げた。そういえばアバドのベートーヴェンもマークと同じような演奏傾向があるなぁ……。かれらの遺した<不滅の九>については別の機会に考え直してみよう。
 さて、ペーター・マーク。そのキャリアのなかでペーター・マークがどれだけの回数、ベートーヴェンの交響曲を振り、その時代その時代でどんなベートーヴェンを演奏してきたのか。このたび東武レコーディングから復活したARTS原盤の全集へほぼ10年ぶりに接したことで、そのようなことを思いかつ嘆息するのである。過日同じ東武レコーディングから発売された東京都交響楽団他とによる《合唱》がその嗟嘆を更に増幅するのだった。
 今後どのような世上の評価に曝されながらこの全集が聴かれてゆくのかはわからない。しかし、ペーター・マークの業績について語るとき、その芸風について語るとき、このベートーヴェン交響曲全集を無視してそれを行うことは不可能であろう、とだけは指摘しておきたい。
 願わくば、今回の復刻をきっかけとしてこれが江湖に聴き継がれてやがて新たなスタンダードとならんことを。◆

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