第2239日目 〈ペーター・マーク=都響:ブルックナー交響曲第5番を聴きました。〉 [日々の思い・独り言]

 ブルックナーの交響曲第5番を音盤で初めて聴いたのはカラヤン=ウィーン交響楽団によるオルフェオ盤、1954年10月2日のVSO創立90周年記念コンサートの録音であった。これは同時にブルックナー初体験であったわけだが、最初に聴いてすっかり興奮したせいか、その後しばらくは第5番を専ら聴き耽ることになる。なかでも今回のペーター・マーク=東京都交響楽団のライヴ録音は<珍>と称すより他なきものと思うた。
 他のブルックナー指揮者ならじっくりと歌わせるような、言い換えれば往々にして濃厚な味付けになりがちな箇所でもマークはさらりと流す。譜面通りにやれば金管が咆哮するような箇所でも「控えて、控えて」と注文を出したかのようなジェントルマンな演奏を旨とする。一方で、時折テンポを意図的に崩すような大胆表現が散りばめられているから侮れないのも事実。まぁ、総体的にいえば、ブルックナーらしくないのだ。
 でも、実はそれがこの演奏最大のキモ。ブルックナーの音楽が持つ宇宙的な規模、神への捧げ物に相応しい荘厳さときっぱり手を切った場合、あとに残るのはなにか? ブルックナーの音楽の根底に塗りこめられた素朴さ、民謡を連想させる歌心であるまいか。
 ここがマークの資質と合致して最大限に発揮されたゆえに、ここに聴くブルックナーが他の指揮者による演奏に較べて次元とベクトルの異なる演奏となったのだ。チェリビダッケに代表されるスケールの大きな演奏とは真逆の方向を向いたマーク=都響のスタイルは、しかしブルックナー演奏のもう一つの指針と捉えて決して軽視したり骨董的扱いをしてはならぬだろう。
 この第5番を聴いて、他にブルックナーを振ってはいないだろうか、録音されたりしていないだろうか、と電脳の海を逍遙してみたが、非力なことも手伝って同曲は勿論他の曲も演奏記録は見附けられなかった。この点、識者のご指摘を待ちたい。個人的には第6番と第7番など聴いてみたいのだが……。
 1986年4月10日に行われた第233回定期演奏会のライヴ録音、会場は東京文化会館である。東武レコーディング。◆

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