第2349日目 〈ヨハネの黙示録第2章:〈エフェソにある教会にあてた手紙〉、〈スミルナにある教会にあてた手紙〉他with加藤シゲアキ『ピンクとグレー』を読み始めました。〉 [ヨハネの黙示録]

 ヨハネの黙示録第2章です。

 黙2:1-7〈エフェソにある教会にあてた手紙〉
 主はわたしヨハネに、エフェソ教会の天使に宛ててこう書き送れ、といった。以下は主の言葉である、──
 わたしはあなたを知っている。あなたの行いと忍耐と労苦をわたしは知っている。自らを使徒と偽証する者どもを徹底的に調べあげ、その嘘を見抜いたことを知っている。わたしの名のために我慢し、疲れ果てたりすることなく、よく忍耐したことを知っている。
 が、あなたへいうておかねばならぬことがある。それは、あなたが初めの愛から離れてしまったことだ。顧みて反省し、悔い改めなさい。初めの頃の行いに立ち戻りなさい。悔い改める様子がなければわたしはあなたのところへ行き、あなたの燭台を取りあげる。
 一方、あなたには取り柄もある。それはニコライ派に与さず、わたし同様憎んでいることだ。
 耳ある者は“霊”が諸教会へ告げることを聞くがよい。勝利者には神の楽園にある命の木の実を食べさせてあげよう。

 黙2:8-11〈スミルナにある教会にあてた手紙〉
 主はわたしヨハネに、スミルナ教会の天使に宛ててこう書き送れ、といった。以下は主の言葉である、──
 わたしはあなたを知っている。あなたの苦難や貧しさをわたしは知っている(だがしかし、あなたは本当は豊かなのだ)。自称ユダヤ人があなたを非難していることを知っている。が、かれらはユダヤ人ではない。サタンの集いに属する連衆である。
 「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。」(黙2:10)
 悪魔があなたの何人かを捕らえて牢に入れようとしている。それはあなたを試すためだ。あなたは10日間、それゆえに苦しめられるだろう。
 「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」(黙2:10)
 耳ある者は“霊”が諸教会へ告げることを聞くがよい。勝利者は第二の死からけっして害を受けることがない。

 黙2:12-17〈ペルガモンにある教会にあてた手紙〉
 主はわたしヨハネに、ペルガモン教会の天使に宛ててこう書き送れ、といった。以下は主の言葉である、──
 わたしはあなたを知っている。あなたが住む所がどのような場所か知っている。そこにはサタンの王座がある。そこではわたしの忠実な証人アンティパスが殺された。が、そのようなときでもあなたはわたしに対する信仰を捨てなかった。
 が、少しばかりあなたにいうておかねばならぬことがある。ペルガモンにはバラクの教えの信奉者がいる。同じく、ニコライ派の教えの信奉者もいる。悔い改めよ、かれらゆえに。その様子がなければわたしはあなたのところへ行き、わたしの口の剣をかざしてかれらと戦おう。
 耳ある者は“霊”が諸教会へ告げることを聞くがよい。勝利者には隠されていたマンナと白い小石を与える。白い小石には受取り手以外は知ることのできない新しい名前が記されている。

 黙2:18-29〈ティアティラにある教会にあてた手紙〉
 主はわたしヨハネに、ティアティラ教会の天使に宛ててこう書き送れ、といった。以下は主の言葉である、──
 わたしはあなたを知っている。あなたの行いと奉仕、愛と信仰、忍耐を知っている。更に、近頃のあなたの行いが以前の行いに優っていることを知っている。
 が、あなたへいうておかねばならぬことがある。あなたはイゼベルというあの女の振る舞いを大目に見ているが、それはよくない。彼女は預言者と自ら称してわれらが僕たる人々に偶像へ供えた肉を食べさせたり、淫らな行いに耽らせたりするなど、誤ったことを教えている。悔い改めの機会を与えても無駄だった。為にわたしはこの女を床に伏せさせる。また、悔い改めないならば彼女に惑わされて淫らな行いに興じた者を非道い苦しみに遭わせ、彼女の教えを受け入れて従った衆を打ち殺そう。──斯くしてすべての教会はわたしこそが正しいことを悟る。
 ティアティラの人々のなかでイゼベルの教えに耳を傾けず、サタンの奥深い秘密へ触れていないあなた方に、わたしはこういおう。けっして別の重荷を背負わせたりはしない、と。わたしが行くときまでいま持っているものを固く守れ、と。
 勝利者に、わたしの業を最後まで守り続ける者に、諸国民の上に立つ権威を与えよう。わたしも父から同じ権威を授けられたのだ。
 「勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。」(黙2:28)
 耳ある者は“霊”が諸教会へ告げることを聞くがよい。

 ニコライ派とは信仰がありさえすれば偶像崇拝をしても、淫行に耽っても構わない、現世の快楽享受を肯定する、当時小アジアで流行ったキリスト教の一派であります。使6:5アンティオキア出身の改宗者ニコラオに従う人々をニコライ派と呼ぶ。
 ニコラオが新約聖書に当該箇所以外に登場することはないので、かれが実際にどのようなことを宣べ伝えていたのか定かでないけれど、もしニコライ派が本当にニコラオに起因する一派であるならば、かの時代に小アジアで拡大していたグノーシス派の教えと融合して一派を成し、それが本章にて「警戒せよ」といわれるまでに成長していったのかもしれません。
 黙2:20のイゼベルは人名というよりもあだ名と捉えた方がよさそうです。或る属性の女性に関せられる形容詞にも似たあだ名。つまり、民を異教崇拝、もしくは背教に導く役として、ティアティラ教会の信徒たちの切り崩しを図った女性がいた。それがまるで北王国イスラエルの王アハブの后イゼベルを思わせるものであったので、確証せられた、というのは実情だったのではないでしょうか。
 「マカバイ記 二」に南王国ユダの預言者エレミヤについて触れた場面がありました。晩年のエレミヤが契約の箱と幕屋を携えて、ネボ山とされる山へ出掛けた、という場面であります(二マカ2:4-8)。黙2:17「隠されたマンナ」はエレミヤが山中の洞穴に運んだ契約の箱のなかに収められた、といわれます。これは終末の時に契約の箱と共に見出されるとされ、永遠の命を示している、と考えられている由。
 なお、本来なら昨日も申しあげたように、手紙が宛てられた7つの教会がある町について場所や来歴、特記事項など述べるつもりでおりましたが、検討してみるに分量的にも体力的にも時間的にも今日明日の原稿に組みこむのは難しい、と判断致しました。為、この件に関してはなるべく早いうちに、たとえば1日2回更新の日を設けて、「ヨハネの黙示録」が佳境に入る前に消化することと致します。ご寛恕願いたく──。

 本日の旧約聖書は黙2:14と民22:5及び同31:16並びに申23:4、黙2:17と出16:14-15(ex;二マカ2:4-8)、黙2:20と王上16:31及び同18:4と同章19、同21:1-16並びに王下9:7と同章30-37(イゼベル)。



 2日続けて『リカーシブル』の話題は避けようと思う。というのも昨日の原稿を書いた約1時間半後に読了、その感想を認めるか否か、思案に暮れているためである。
 『ボトルネック』に端を発して『儚い羊たちの祝宴』、『さよなら妖精』を経てようやく米澤穂信を脱した今日からは、ややテイストを変えて(というてもこれまた予定通りなのだが)加藤シゲアキ『ピンクとグレー』(角川文庫)を読み始めた。
 NEWSのメンバーが本腰入れて小説を書き、それがずいぶんと小説好きの間でも評判が高く、かつ映画化もされる程の話題作ということは、地元の書店に平積みされていることからも推察できたが、正直なところ、わたくしは殆ど関心がなかった。有川浩のエッセイ集『倒れるときは前のめり』に収録された書評を読まなければ、たぶん買って読んでみようとは思わなかったであろう1冊である。
 まだようやく第2章に差し掛かったところゆえ発言は控えるが、これはなかなかの秀作と思うた。先を読ませるだけの力はある。芸能人の書いた小説ということで色眼鏡で見ていた部分なきにしもあらず、そんな読まず嫌いの偏見が手伝って敬遠していた自分が恥ずかしくなるぐらい、この小説はアタリかもしれない、という興奮と熱狂に囚われているのだ。
 デビュー作もまだ手にしたばかり、という状態ゆえ何事かを発言することはためらわれるが、これだけはいえるだろう。『ピンクとグレー』と次に読む予定の『閃光スクランブル』(同)を読み終えたら、古本屋や新古書店を回ってまだ文庫化されていない作品を探して購い、読むことになるのだろうな、ということは。
 さて、それでは寝に就くまでのわずかな時間、この将来性たっぷりな新人作家の小説を楽しむとしよう。◆

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