第2393日目 〈好きならば、その想いは伝えるべきである。〉 [日々の思い・独り言]

 エッセイをパソコンで書くのは久しぶりである。ゆえに、というべきか、なにを書いていいのかよくわからずにいる。
 武田綾乃『響け! ユーフォニアム』のことを書こうと思うたけれど、やめた。なぜならば今月からAT-X他にてパート2が放送される話題に乗っかるようで嫌だからである。第1シーズンがMXで放送されていたときリアル・タイムで観ていて、面白いぞ、とアニメ好きの同僚にも勧めてまわり、さりながら今春上映の劇場版は観逃して、そうしてアニメ化の報を聞く前に原作にも手を着けていたにもかかわらず、わたくしが『響け! ユーフォニアム』についてなにも語ろうとしなかったのは、怠惰のみならず吹奏楽未経験者が感想にもならぬ感想を認めることの愚を言い訳に筆を投げたからに他ならない。
 でも、それは言い訳なんだ。詭弁だよ。指を指されるまでもなく、自分でわかっているさ。未経験であろうと経験していようと、好きなものについて語るときに経験の有無は確かに大きなバックボーンとなり、強みとなるだろうけれど、それはけっして有資格ではない。先頃亡くなった音楽評論家、宇野功芳の言葉であったと思う。曰く、クラシック音楽評をする人間がみな楽譜を読める必要はないでしょう、と。
 ──わたくしはこの言葉をたぶん『レコード芸術』誌で読み、これまでやや後ろめたさというか、クラシック音楽が好きでずっと聴いてきて、機会をいただいてレヴューまで偉そうに書く立場にあったにもかかわらず楽譜が読めないことにコンプレックスを感じて、小さな楽器店で楽譜の読み方なる教本とそこで紹介される楽譜、当該作品のCDを購入して勉強すれどいっこうに捗らない、自分にこの方面の知識を基本中の基本でさえ習得することは困難なのかしらん、なんて引け目を感じていたのだけれど、件の音楽評論家の言葉を読んだ際に救われた気分がした、といえば、ここまで読んでくださった読者諸兄は首肯してくださるであろう、と信じる(ここまでワン・センテンス)。
 当時もいまも変わることなく、ずっと吹奏楽のCDを聴いている。往時に較べれば格段に量は落ちたけれどね。併せて雑誌や書籍を読むことも続けていた。<お勉強>という意識はまったくなく、ただ<好き>という純粋なる感情からだ。他人へ口外するのを憚れる、甘酸っぱく濡れそぼった思い出を伴うので詳細どころか塵芥程も書くのは控えるが、その純粋なる<好き>という感情が芽生えたのは、まぁ人との出会いだよね。さる人物との出会いがきっかけで、わたくしは吹奏楽に興味を抱いた。当時は自分の周辺に、吹奏楽に興味がある、と口走ると閉口するぐらいの勢いで煽ってくる人が何人となくいた職場──都内は山手線沿線にある某メガストアである──だったから、時間があれば資料も新着ソフトも自ずと横目でチェックすることのできる環境にあった(勿論、担当者の機嫌を損ねない程度にね)。即ちわが吹奏楽への関心は然るべき環境で育まれ、そこから離れたあとも奇跡的に持続されたのである。
 過去にも書いたことだが、吹奏楽に興味を持った頃にいちばん聴きたかったのは、ジールマンの《チェルシー組曲》だった。が、これの音源は極めて少ないようで、当時は1人の指揮者が録音したものしか見附けられなかった。が、LPで発売されたそれがCD化されたという情報はなく、吹奏楽の掲示板で知り合った方がご提供くださったカセットテープで無聊を慰めるよりなかった……事態が好転したのは4年程前である。
 山田一雄が往年に指揮、録音した吹奏楽オリジナル曲のLP3枚がCD2枚組となってタワーレコードから復刻されたのだ。ここに件の曲は収録されていた。その事実がなければわたくしは仕事帰りに、閉店間際のかつての古巣に駆けこんでこのディスクを買うこともなかったであろう。帰宅して昔を否応なく思い出しつつもその演奏に耳を傾け、かっこいいなぁ、なんとなく『サンダーバード』に似ているなぁ、なんて思いながら数回、そのあとで再生した覚えがあるね。その後、徐々に他の曲も《チェルシー組曲》と同じような聴き方をして耳を馴らし、好きになっていった。でも、これとてオリジナル曲の場合である。編曲だとどうしても原曲の方に想いが傾き、アレンジされた版を奏でる吹奏楽に抵抗を感じたりするのは、いまも昔も変わらぬ気持ちである。きっと吹奏楽に編曲されたベートーヴェンの第5交響曲がトラウマになっているんだろうなぁ。
 さて、ここまでの吹奏楽の話はすべて余談だ。お読みいただき、ありがとうございました。
 そろそろここで武田綾乃『響け! ユーフォニアム』にまつわる話を書くべきなのかもしれないが、やめておく(ん、デ・ジャヴ?)。アニメの第1シーズンがただいまスカパー! の日テレ・プラスにて平日午前0時から2話連続で放送中、既に折り返し点をまわって地区予選に向けた真剣勝負が始まったところだ。勿論、毎日これを観るのが楽しみなので渋々会社に行っているという事情こそあれ、アニメ・シリーズ全体であれ1話毎であれ、感想の筆を執ることはないだろう。というか、どのように書いていいのかわからない、というのが本音。餅は餅屋に、とは先程自分で曰うた台詞に反するけれど、越境は時によって大きな火傷を伴う行為である、と知れば、おいそれと軽率に足を踏み入れることは殆どなくなるであろう。経験者? 大当たり!
 が、本当に好きなアニメならば、大いに筆を揮ってわが心情告白を文章で書き綴っても宜しかろう。そこに『響け! ユーフォニアム』は含まれる。事の序でにいえば『ラブライブ!』(無印)も『宇宙戦艦ヤマト2199』も『重戦機エルガイム』も『キャプテン・フューチャー』も『くまのプーさん クリストファー・ロビンをさがせ』も、大いに筆を揮ってわが想いを綴りたい作品であるものだ。そう、好きならば書くべきなのである。好きならば伝えるべきなのである。かつて『ヱデンズ・ボウイ』のヒロイン、神属の1人エリシスは後日譚の小説でこういっている、「言葉にして伝えなくてはならないこともある」と。まさしくその通りだ。自分の思惑と異なる結果が帰ってくることを恐れるべきではない。
 と、本来の帰着点にようやく達したところで、本稿お開き。擱筆。
 ナポレオン曰く、ゴールさえ見失わず、そこへ着実に進むならば、どのようなコースをとろうが関係ない、と。正確なところは当然よく覚えていない。渡部昇一の本からの孫引きである。許せ。◆

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