第2403日目 〈江戸川乱歩『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 経緯はさておき、地元の小さな図書館から『幻影城』を借り出したのは、そのなかに「怪談入門」という随筆があったからだ。頃は高2、ちょうどH・P・ラヴクラフトを媒介にしていよいよ怪奇幻想文学の森へ分け入ろうとしていた時分である。
 返却までの2週間で「怪談入門」は勿論、『幻影城』を何度読み返したか覚えていない。ただ読みながら、当時国内で刊行されたことのある怪奇小説の雑誌や翻訳を能う限り収集してリスト化しよう、それを系統立てて一個の論書やエッセイ集を上梓しよう、と固く決意したのははっきりと覚えている。それの端緒として未完の『世界幻想文学講話』なるエッセイ集に収まることとなる文章を幾つか書いて、あちこちの同人誌に発表したっけ。が、『世界幻想文学講話』に留まらず刊行物の収集やそれを基にしての著書の上梓などいずれも既に果たせぬ夢となった。もっとも、よしんばそれができたとして、わたくしに東雅夫氏のような仕事ができたとはわれながら思えぬ。餅は餅屋へ。その通りである。
 筆が流れた。許せ。乱歩との初遭遇が怪談を縁にして、という事実が、あれから30年を経たいまの乱歩読書に幾許と雖も影響を与えておるであろうことは首肯せざるを得ない。どういうことか、といえば、『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)を読み終えて、「これは!」と膝を打って二重丸を付けたのは専ら怪奇趣味がかった短編であり、逆に「これは……うむむ」と腕組みして小首を傾げて天を仰いだものが本格物と当時称された推理小説群であったのだ。
 先の「怪談入門」で、そんなら私がこれまで書いてきたのも怪談であった、と乱歩自ら納得して題名を掲げたものに「人間椅子」や「鏡地獄」、「押し絵と旅する男」などあったが、前の2作は『江戸川乱歩傑作選』に入っていて、二重丸を付した小説である。わたくしが「人間椅子」などを気に入ったのもそこへ漂う怪奇趣味に感応したからだ。
 そんな所以だから世評に高い「二銭銅貨」や「D坂の殺人事件」などは面白く読めたものの、残念なことに二重丸を付けるに至らなかった。前者に於ける暗号のトリックと最後のどんでん返し、後者に於ける日本家屋での密室殺人の可能性を示したトリックと名探偵明智小五郎の推理など、いずれについても存分に楽しめた……にもかかわらず自分のなかで評価が低いのは、併収作に怪奇趣味に彩られた作品が併収されている不幸に起因しよう。また、忘れてならぬのはここに「芋虫」があることだ。
 ご記憶の方がどれだけおられるかわからないが、昨年、わたくしへ乱歩を奨めてきたのは行き付けのクラブのお嬢さんだった。その折彼女が猛烈にプッシュして愛着ぶりを吐露したのが、かの「芋虫」である。
 復員してきたものの両手両足を根元からなくして自由を失い、だが食欲と性欲は世人以上に旺盛な夫と、それを介抱するうちに自身の内に眠っていた加虐性に突き動かされて夫を虐げる妻。かれらが織りなすエロスとサディズムの物語は、妻による至極残虐な行為をクライマックスとして読者の記憶に焼き付く。まさに乱歩らしい一編である。
 最初はエログロ小説の1つとして「芋虫」を読んだが、二読、三読するに従い、次第に世間から忘れられてゆく夫婦の侘しい生活を想像して、そこに<哀れ>を覚えたことである。「悪夢」という題で発表された昭和4(1929)年当時は反戦小説として世間には受け入れられたそうだが、わたくしは夫婦の交情や終盤の凄惨さ、直後の妻の反省といった描写を通して恋愛小説の一変形──哀れを催させる一方でなんともやりきれぬ読後感の恋愛小説と読んだのである。
 ──仄聞するところでは、乱歩は生涯の全短編の殆どすべてをキャリアの初期に書きあげていた、という。創元推理文庫の『人でなしの恋』裏表紙にある文言に拠れば、同文庫の『D坂の殺人事件』と『日本探偵小説全集 江戸川乱歩』、『算盤が恋を語る話』の4冊を以て乱歩のほぼ全短編をを網羅されている由。
 しかしながらわたくしのような乱歩入門者には、昭和35年に刊行されて未だ版を重ねて親しまれるこの新潮文庫版短編集がいちばんだ。個人の好みはあろうけれど、乱歩が足跡を残したジャンルのなかから代表的な作品を精選した、バランスの取れた作品集であることは疑うべくもない。わたくしはまだその域に達していないけれど、きっと様々な乱歩の短編集を渉猟したあとで帰ってくる<港>のような1冊なのではないか。
 たぶん『孤島の鬼』と本書がわたくしにとっての本格的乱歩開眼の文庫となるだろう。紆余曲折を経て人生の秋を迎えたいま、大乱歩の作品に遅ればせながら親しめるようになったことに感謝。◆

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