第2431日目 〈『ザ・ライジング』第2章 28/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 なるほど、そういう話か、と希美は思った。今日か明日には、彩織に自分の意志を伝えなくてはならない。遅かれ早かれ。そうずっと朝から考えていた。チャンスは何度もあったが、親友の気持ちを考えるとなかなか言い出せずにいた。が、両親を失って二ヶ月、希美は自分の将来像をはっきりと思い定めた。進学から就職へ。そして、遅かれ早かれされるであろうプロポーズを受け、あの人と家庭を持つ。それを芸能界如きのために根本から修正する気にはなれなかった。彩織を傷つけてしまうかもしれない。けれど、だからといって私達の友情が、これを限りに失われてしまうことはないだろう。それに、傷は浅い方がいいに決まっている。――チャンスはいまだ。そう、いましかない。
 「ねえ、彩織。昨日からずっと考えていたんだけれどね、国民投票の結果はすごくうれしい。さっき借りたヴィデオテープ観たら、きっと泣いちゃうと思うんだ。でも――彩織、ごめんね。私……この先を考えるつもりはまったくない。……ごめんね」
 淡々としたしゃべり方だった。が、その声は力強く彩織の耳に響いた。この先を考えるつもりはまったくない。表現はどうあれ、予測していた答えが返ってきたことに、彩織は安堵した。過程は異なれども結果は同じ。ああ、よかった。
 「実はな、のの。ウチももうこれ以上考えとうないねん。ののとは事情がぜんぜん違うけど、出した答えは一緒。この先を考えるつもりはまったくない」
 それだけいうと、彩織は口を閉ざした。横目で観ると、希美は頬を少しふくらませ、唇を固く結んでいた。じっと試合の行く末を見つめているが、心の中ではぜんぜん違うことを考えている。その横顔に彩織は胸打たれた。これまでに見たことのない、毅然としてりりしささえ感じさせられる横顔だった。やがて、背中を壁にもたれかけさせていた希美が、じっと彩織の方を見つめながら口を開いた。
 「うぬぼれに聞こえたら許してね。――それは、私に気を遣っての結論じゃないよね?彩織が自分で考えて、自分で出した結論なんだよね?」
 正面から見据えてくる希美の視線に、彩織は一瞬たじろいだ。目の前にいる親友が、自分の知っている希美ではないような気がしたから。いいや、そんなはずはない。然り。でも、悲劇を克服して生きるためには、強く逞しくあらねばならない。なにかの本を読んでいるときに覚えた一節なのか、それとも映画の一場面だったのか、はたまた天啓のように心に浮かんだものなのか、彩織には判然としなかったけれど、いま視線を合わせている希美へ捧げるにふさわし言い回しであるのに変わりなかった。
 彩織はゆっくり頭を振りながら、「うん、そう。自分で出した結論や。だから、ののが気にする必要なんてないよ、これっぽっちも」と独り言のように呟いた。「なんだか急に怖くなってしもうてな。これまでの生活、いまの生活、家族や友達のいる生活。そんなすべてを失ってしまうのが、怖くて怖くてたまらんねん。それにな、のの。自分じゃ気がついてなかったかもしれんけど、ののがこの話にあんまし乗り気じゃないのはわかっとったよ」
 左肩が重くなった。希美が頭をもたせかけ、目をつむっていた。長い逆さまつげが濡れている。
 「ありがと、彩織……。大好きだよ」
 腕を希美の背中へ廻し、掌で希美の後頭部をそっと撫でながら、耳許へ口を近づけて、彩織は囁いた。
 「ウチもや、のの。大好き。これからもずっと一緒にいよう、な?」
 両の目蓋を手の甲で何度も何度も拭いながら、肩も小刻みにふるわせつつ、鼻をシュンシュン鳴らしながら希美が二度、三度と頷くのを、彩織は肩で感じていた。よかった、ののと友達で、そう彩織は口の中で呟いた。□

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