第2438日目 〈『ザ・ライジング』第2章 35/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 御殿場駅で降りると駅前のバスロータリーを横道に入って、足柄方面へ御殿場線の線路に沿って歩く。やがて道は県道四〇一号線(御殿場箱根線)を渡り、国道一三八号線にぶつかる。そこは二枚橋と呼ばれる。信号を越えて一分ほど歩いて線路とは逆の方向に折れる路地を少し入ったところに、大河内かなえの住むマンションはあった。前の住人が音楽の仕事をしていたとかで、室内は玄関まわりを除いた部分に防音工事が施されていた。
 ここを訪れるのは、上野にとって約三週間ぶりだった。彼は吹奏楽部の部員の自主練習にも顔を出すことなく、学園をあとにしてまっすぐここへ足を向けた。そうすれば少しでも池本の毒素は薄まるような気がしたからだったが、離れれば離れるほど耳の奥に池本の声がこだまし、心の奥底でとぐろを巻き続けた。
 上野は大河内のマンションに到着すると、すぐに着ていたものを脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。たっぷりと時間をかけて全身をくまなく洗い、シャワーを浴びては湯船につかり、顔を冷たい水で洗った。風呂から出たときはすっかり陽は暮れ、来てから一時間以上が経っていた。
 まだ恋人は帰る様子がなかった。禁止されていたことをやってみよう、と上野の心にいたずら心が芽生え、彼は大河内のタンスに近寄った。下着がどの段にあるかは承知している。彼はおもむろに引き出しを開けた。甘美な香りが立ちのぼり、色彩豊かな下着がぎっしりとつまっていた。そこに顔を突っこみたい衝動に駆られた。この香りに包まれていれば、毒蛇の恐怖から逃れられるような気がした。まだあいつが帰る心配はない。ばれやしないさ……。気持ちが落ち着くなら、どんな手段だって取るべきだ。上野はそこに顔を押しつけ、目を閉じた。まるで恋人に抱かれているような錯覚がする。かなえ……。お前との未来を手に入れるためなんだ。許してくれ、願わくば、我を救い給え。二度と奴に脅かされることのない、魂の休息を我に与え給え。おお、願わくば永遠に。
 いつのまにか、上野は自分が涙を流しているのに気がついた。誰に対して流しているんだろう、と彼は疑問に思った。自分にか、恋人になのか。それとも、これから自分が未来を踏みにじることとなるあの少女にか。そうして、はたと思い当たった。いかん、濡らしちゃまずいだろう!?
 急いで彼は顔をあげ、指先で顔の当たっていた場所を触ってみた。布地の感触と、わずかに濡れた感触が伝わってくる。ドライヤーででも乾かそうか。だが、その間に帰ってくる可能性がある、いや、はるかにその可能性は高い。なら、しばらくこのままにしておこう。少しは乾くかもしれない。彼はこんな状況でもそんな漫画めいた行動を取っている自分の姿を想像して愕然とするよりも先に、腹を抱えて床を転がって大笑いしたい気分に駆られた。
 上野はふらふらと立ちあがり、セミダブルのベッドに寝っ転がった。あと何時間かしたら繰り広げられる恋人との愛の営みを想像してみる。今夜はどんな風にしようかな。しかし、これっぽっちも興奮しなかった。むなしさだけが心の中を吹き過ぎてゆく。手練手管を尽くされてもその気になれず、彼女が求めてやまないペニスが勃起しないとなれば、かなえと雖も不審に感じるだろう。池本に強要されては従わないわけにいかず、それに加えて今日は女王が自分の中で身悶えて果てた。求めに応じて二回、女王の中に自分の欲望をはき散らした。かなえを抱いても大丈夫なのかな……。□

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