第2456日目 〈『ザ・ライジング』第3章 12/28〉 [小説 ザ・ライジング]

 アクアミュージアムの入場口からは少しの間、ほの暗いトンネルが続いた。そこを抜けると半円球のドームがあった。壁には深い青色が幾重にも重ね合わせて塗られており、海上から差し伸べられた光の筋が一条二条と斜めに走っている。あたかも肉眼で海底を眺められれば斯様な光景が目にされるのか、と入場者を思わしめる演出が施され、これから始まる彼等の、海への神秘的で不可思議な旅に誘っていた。希美と白井だけでなく誰もがドームの、巧妙に隠された天井のスポットライトが床にぼんやりと映し出す光のプールのそこかしこで立ち止まり、しばし目を馴らすのに余念がなかった。
 目が馴れてしまうとさっさと先へ進む者もいた。しかし多くはそこにたたずんで周囲を見やり、感嘆の言葉をもらした。そう、こういうときは「わあ……」の一言、ただそれだけでいい。感嘆と驚嘆の前に言葉はいらないのだ。いったいなにが始まろうとしているのか? SOMETHING WONDERFULL!! 他になにが?)。ホログラムで海の生物の姿が浮かびあがり、入念な調査を経て描かれた生態系が命なき生物に息吹を与えている。波が寄せては帰る岸辺に住まう小さな住人達が、深海の底にあってひっそり暮らす住人達が、模造物とはいえ入場者の前で己が生活の一断面をご披露に及んでいた。
 それに接して希美は慄然たる感動を胸の内奥に刻みつけ、崇高としかいいようのない次元にまで高められた恐怖に身を震わせた。幼い時分から遊び場以上の存在であった故郷の海に抱く郷愁は、けっしてノスタルジーが生み出したものではなかった。先祖代々の血が希美の中に遺したはるか昔の記憶、近き昔の記憶によって、自ずと継承されてきた郷愁であった。自分の前に生きて血を伝えた先祖達が海に抱いた畏怖と敬虔な想いは、さよう、確かに希美にも伝えられていた。誠、希美は海に愛され、育てられた娘であった。
 恍惚とした表情のまま、彼女は金縛りが解けたようにゆっくりと、まだ言葉にはしていないが心の底では既に生涯の伴侶と思い定めた白井にいった。「連れてきてくれてありがとう。待たせちゃってるね、私。行こうか」□

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