第2472日目 〈江戸川乱歩『人でなしの恋』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 創元推理文庫版短編集の最後を飾る本書『人でなしの恋』は、いみじくも解説を担当した新保博久によって「マイナー作品集」(P236)と位置附けられた1冊である。それに引きずられての印象ではないが、収録作の過半について、別にこれは読まずに済ましてもまるで後悔しないだろうなあ、と思わせられるのだった。このなかで必読というてよい作品があるとすれば、精々「踊る一寸法師」ぐらいか。独断ながらがこれのみがいわゆる一流の域に属す短編であって、他はいずれも一・五流、もしくは二流以下の作物に思える。むろん、『算盤が恋を語る話』の感想でも書いたように名作や傑作とされる作品を陰で支える短編が本書にも収められていることに変わりはないが、率直に申しあげれば『人でなしの恋』には『算盤が恋を語る話』よりも見劣りする短編が並べられている風に感じられてならぬ。それが証拠に……個人的なそれでしかないけれど……一編読了しては中断して他の乱歩作品へ手を伸ばし、を何度も繰り返して、なかなか『人でなしの恋』1冊を集中して読むことがかなわなかった。わたくしはこれを本書に収められた短編群の大味ぶり、魅力の欠乏などに起因する出来事と(一方的ながら)考えている。
 本書収録作のうち再読となったのは前述の「踊る一寸法師」と表題作「人でなしの恋」、そうして「接吻」である。「踊る一寸法師」の評価は上がり、「人でなしの恋」は反対に下がった。「接吻」については読後感にまったく変化なし。「踊る一寸法師」の評価──読んだあとの印象が良くなったのは、作品が持っているグロテスクとファナティックをはっきりと認識したからだ。一寸法師こと禄さんをタネに軽業師たちは騒ぎ、たらい回しに嬲る。美人玉乗りのお花が歌でも1曲、ならば踊りを1つ、となかば強いる。一寸法師は酒樽のなかへ沈められ、あがってはお花を材料に箱へ閉じこめ剣を何本も刺す、という今日のわれらにもマジックショーでお馴染みの芸当を披露する。この辺が本作のカタストロフィで、一寸法師の内に積もり積もったルサンチマン(怨みつらみ)の爆発は読み手を心胆寒からしめることは必至、一方で一寸法師の憤怒の熱にあてられて心のなかで拍手喝采を送りもするのだ。そうしてクライマックス、丘の上で月を背にして踊る、丸いスイカのようなものを手にした一寸法師のぶきみなシルエット……この一場面へ至るまでの畳み掛けは他の乱歩短編に同種のものはチト見出せないように思う。
 「踊る一寸法師」とは逆に「人でなしの恋」の評価を下げたのは、実に簡単な理由である。前回は語り手の夫の心情や行動について見過ごすことができたのに、今回はそれができなくなってしまったのだ。自分のなかに巣喰っている或る種の嗜好と、本編語り手の亡き夫門野氏のそれがぴたりと重なり、一旦気附いたらもうそこから目をそらすことはできなくなってしまったのである。思えば門野氏と「押し絵と旅する男」の語り手の兄、この文章の綴り手の三者は同類だ。羞恥心から詳らかに語ることはしないが──嗚呼、わたくしのアルウェン、わたくしのファナ・ラキシス! もはや生涯添い遂げる者の終ぞなかりせば……。
 以上はいずれも再読した短編についてであるが、今回初読となった作品のなかでは「疑惑」と「灰神楽」、「モノグラム」が良かった。乱歩お得意の勘違いもの「モノグラム」。友人を殺して完全犯罪を企むもその弟にすべてを見破られる「灰神楽」。自宅の庭で殺害された父、下手人は誰か、家族のなかに犯人がいるのか……家族皆がそれぞれ疑心暗鬼に囚われて家庭崩壊劇の側面を持つ、前編が被害者の次男とその友人の会話で進められる「疑惑」。どれもこれもこの1冊のなかにあっては頗る面白く読んだ。正直なところ、この3編に甲乙は付け難い。いずれも一流の、言葉を換えれば代表的短編の域には達しないまでも、偏愛の想いを抱かせるにはじゅうぶんな魅力を孕んだ短編であるといえるだろう。
 以前にも書いていることだが、乱歩は全短編の殆どすべてを戦前に執筆しており、それらは概ね創元推理文庫にて読むことができる由。精選された新潮文庫版短編集2冊だけでは満足できない読者は、こちらへ来て『算盤が恋を語る話』と『人でなしの恋』をお読みなさい。これはわたくしが辿った道である。そうして既読の新潮文庫版短編集と『算盤が恋を語る話』と『人でなしの恋』に含まれていない作品を読みたくなったらば、短編ならば『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩』と『D坂の殺人事件』を繙けばいいし、長編に興味が湧いたなら大人向けならそのまま創元推理文庫のシリーズから、子供向け(つまりわたくしがここでいうのは<怪人二十面相>シリーズなのだが)ならポプラ社文庫の収録作へ、関心の向くまま読み漁ればよい。勿論、光文社文庫版全集へ突き進むことに咎め立てはしない。お好きなように。
 ──本書のあとわたくしは長編『黒蜥蜴』を読み、『盲獣』を途中で読み止めた代わりに久世光彦『一九三四年冬──乱歩』(新潮文庫版)を読んだ。『黒蜥蜴』と久世光彦は既に読み終わっている。やがてこれらの感想を認めてここにお披露目する機会もあるだろう。そのあとはしばし、乱歩、封印。◆

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