第2561日目 〈『ザ・ライジング』第5章 21/24〉 [小説 ザ・ライジング]

 希美の手を摑んだとき、藤葉は思わず恐怖を覚えた。凍りついたような冷たさが掌から伝わってきたからだ。一瞬ではあったものの、死体みたい、という思いが頭をよぎった。霊安室に眠る妹の死体が脳裏に浮かんだ。天井からの蛍光灯の明かりが妙に寒々しかった。ドラマに出てくる作り物の霊安室や棺と異なって、すべてが白日の下に曝されて白っぽい印象が残っている。とはいえ、病院の地下にある霊安室とそこにいる自分達(両親と祖父の他に美緒がいた。美緒は木之下若菜が息を引き取る少し前からずっと藤葉に付き添っていた)が精密に作られた舞台セットのように感じられたのも事実だった。その霊安室で触れた妹の冷たくなった体を、希美の手を摑んだ拍子に彼女は思い出し、ぞっとしたのだ。
 ののちゃん、死なないで。藤葉はそれだけを願いながら、希美の脇の下から肩へ手をまわして、岸へと泳いでいった。藤葉の視線がなんの反応も示さずぐったりしたままの希美と、こちらを見て希美と自分の名前を連呼する彩織と美緒、真里の間でしきりと動いた。防波堤の向こう側で赤いランプが点灯している。ぐるぐると夜空に円を描いて点滅していた。それは一つではなく、時間が経つにつれて数を増してきている。空の一部が赤い光に染まって、広げられてゆく。時間が経つにつれて続々と、パトカーや救急車が到着してきたらしい。防波堤のスロープをえっちらおっちらと走ってのぼってゆく田部井の姿が見てとれた。足の届くところまで、あと数メートル……。
 「ののちゃん、しっかりして。もうすぐみんなのところに着くからね!」
 そも希美を見つけたのは美緒だった。突然に現れて天空を染めた光の帯が海をも照らし、そこにゆらゆらと揺れる影法師を見たのだ。「ふーちゃん、あれ……」と促され、指さす方向をたどると、重なり合った二人の人影が藤葉の目にも映った。それが希美と、彼女に別れを告げる白井の姿だ、と藤葉は直感した。やがて片方が消え、片方は崩れるようにして海面へ倒れた。美緒が波打ち際まで走り寄って海に入ろうとした。藤葉はそれを視界の端で捉え、真里と共に制止した。それでもなお海に向かおうとする美緒の肩を摑んで、「あんた、ろくに泳げないじゃない。私が連れてくるから、美緒は彩織や若菜さんとここにいな!」と一喝すると、コートとトレーナーとスニーカーを脱ぎ捨て、波打ち際に歩を進めた。なおもぐずる美緒に藤葉は踵を返してなにかいおうとしたが、彩織に「美緒ちゃんのことはええから、ふーちゃん、早う行ってえな!」とせかした。彩織が美緒の手を引っ張って波打ち際から遠ざけようとしているのを見て、藤葉はじゃぶじゃぶと水をかき分けて海の中へ入っていった。……。□

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