第2619日目 〈前538年、捕囚のイスラエルは解放されて、“乳と蜜の流れる地”カナンへ帰還する。〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 更新停滞の本ブログのテコ入れを検討し、時に新稿披露を果たしてみるも、常に心の底で澱となって残り、なにかの拍子に表面へふわあっ、と浮かんできてしまうのは、「マカバイ記・一」と「エズラ記(ラテン語)」である。
 読解不十分、ノートに瑕疵頻出──足掛け8年に及ぶ聖書読書ノートのうち、旧約聖書続編に属す2書についてはかねてより再読書・再ノートを決意し、その旨ここで表明していた。が、ほぼ毎日続いた(ということに、ここではしておこう)読書ノートが恙なく終わった安堵か虚脱感か、とまれ一旦腰をおろしてしまうては、再びよっこらしょ、と立ちあがるのはちと難儀でな……。
 その状況に好転の兆候が見えたのは、今年になってからのこと。正月休みに『旧約聖書続編・スタディ版 新共同訳』(日本聖書協会)を購い、仕事や趣味の読書の合間合間に読んできた。この読書体験が積もり重なって、ちかごろは「一マカ」並びに「エズ・ラ」へ再び取り組む意欲が日毎に自分のなかで高まっているのを、わたくしは認めざるを得ないでいる。
 顧みれば旧約聖書続編を読んでいた当時、旧約・新約聖書のように幾つもの註釈書や参考文献を自分の周囲で見出すことはすこぶる難しく、ゆえに手探り状態で資料を探し、情報をつなぎ合わせ、思考を巡らせ推理を組み立て、解答という名の推論を導くより仕方ない部分が、多分にあった。旧約聖書続編のノートをぶじに終わらせられたのが、いまでもふしぎなくらいである。
 いやまったく、参考文献の殆ど皆無な点については本当に悩まされたな……。フランシスコ会訳に続編の書物が旧約聖書に組みこまれ、加えて簡単な補注が付されているなんてこと、当時は知らなかったもの。
 「マカバイ記」のような歴史書ならギリシア・ローマ或いはオリエント地方の資料をあたれば事足りたとはいえ、如何せん聖書に即した内容とは必ずしもいい難かったから隔靴搔痒の感は否めなかった。「エズラ記(ラテン語)」に至ってはもはやそれどころの話ではなく……。そうした意味で、件のスタディ版の登場は(個人的には)ちょっと遅きに失したのではないか、と嗟嘆してしまうのだ。むろん、勝手な言い草であるのはじゅうぶん承知。
 心残りを抱いているがそれと向き合うには及び腰であった、そろそろなんらかの結論を出さねばならない、と、そう思い思いしていた時分にスタディ版が登場、書店へ足を運んで瞥見し、わずかの逡巡を経て後購入へ踏み切り、浄机の上に開いて黙読してゆくうち、ふつふつと胸の底から期待と希望が頭をもたげてくるのを、いったいどうしてねじ伏せられよう……。
 ──いまはただ1日も早く読者諸兄の許へ「一マカ」と「エズ・ラ」の再読書ノートをお届けできるよう、これ努めたい。……まぁ、半信半疑で待っていてもらえると、うれしいです。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。