第2720日目 〈太宰治からの手紙;小山清編『太宰治の手紙』と亀井勝一郎編『愛と苦悩の手紙』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 作品よりも作者を好む。作品についてあれこれ論じるよりも、作者の素顔や日々の暮らし、なにを食べてなにを考えていたか知りたい。つまりわたくしは、不健全な文学愛好家なのです。
 作者自身に、作品以上の興味と関心を抱いたのは、H.P.ラヴクラフトの全集を買いこんだ高校生の時分。そのなかで好んで読み耽ったのは小説ではなく書簡であり、また同時代に生きて関わり合った作家たちによる回想だった。読書を重ねるにつれて次第次第にラヴクラフトが時空を隔てた他人ではなく、まるで自分の分身に思えてきたりした(恥ずかし気もなくいえば、「ぼくがラヴクラフトだ」と……)。
 作家個人を知るにいちばん手っ取り早いアプローチは、「書簡集を読むこと、同世代の誰彼による回想記を読むこと、そうして複数種類の伝記を読むこと、この3つだ」と申しあげましょう。
 勿論、ここでいう<作家>が既に物故して相応の歳月が経っており、メモワールがあちこちから出てくるような名の通った”a grate man of letters”であり、かつ<紙の手紙>を相当の量、書き送り、唯1人の読み手のために<私的作品>を綴った”letter writer”のことだ。
 ──<毒を喰らわば皿まで>の言葉に従って、好きになった文学者、芸術家に書簡集あらば探して読み、ますます愛を深めていった。スタインベックやドストエフスキー、芥川龍之介、ベートーヴェン、マーラーとワルター、ラム、……etc,etc.

 とまれ、HPLに端を発した書簡集好みはいまに至るまで継続中で、河出文庫から出た小山清編『太宰治の手紙』は貪るように読み耽り、出先へ持ってゆくこと多く、購入して半年経った暮れには表紙が折れ、ページの端はよれたり丸くなったり、カバーを取り払うと凹みなど軽度のダメージが刻印されている。<愛するならば、毒であろうとなんであろうと、皿まで喰らって喰らい尽くす>がモットーなればこそ、この小さな書簡集も経年劣化は相応以上に爪痕を残したのだ。
 「ガラスのハート」の持ち主な太宰治がここにいる。有名になっても朴訥としたところが残る、照れ屋で気が小さな、面倒見の良い、等身大の太宰治がこの書簡集には息づいている。そうしてどうにもダメ人間で、「おたんこなす」な太宰治の姿も、われらはここに見る。
 河出文庫版小山清編『太宰治の手紙』は太宰没後70年を記念して、昨2018/平成30年6月に出版された。1952/昭和27年5月刊の木馬社版を基に再編された河出新書版(1954/昭和29年8月)の文庫化。全100通を収録。編者の「あとがき」に加え、正津勉の解説を付す。
 これ以前にも角川文庫から亀井勝一郎編『愛と苦悩の手紙』が出ている。令和元年のいまも書店の棚に並ぶロングセラーだ。こちらは212通を収め、編者解説と太宰の年譜がある。
 小山の編著が昭和8年から昭和15年と、太宰25歳から32歳までの書簡を収めるのに対し、亀井の方は昭和7年から没する昭和23年5月まで、24歳から38歳までの書簡が並ぶ。
 収録時期が長きにわたっているという点もあろうが、亀井が編んだ書簡集からは、小山編書簡集では姿を潜めていた暗い部分が、死を前にしての太宰の懊悩が、ひしひしと伝わってくるようで、読んでいてだんだんと苦しくなってきてしまう。歴史を知る者だからこその、穿った読みであろうことは承知している。
 が、むろんそれは行間からふと顔を出して気配を漂わせる程度のものであり、戦前戦中、そうして戦後も、無頼派のイメージからかけ離れて日々の営みを大切にし、家族に清らかな愛情を注ぎ、創作については機械的にこなす、ビーダーマイヤーというがぴったりな家庭人/職業人の姿が、本書からは立ちあがってくるのだ。
 両方の書簡集を通じて、わたくしは高田英之助に宛てた書簡が好きだ。高田は〈井伏門下の三羽烏〉と称された人物。残りの2人は伊馬鵜平(※)と、勿論、太宰治である。
 太宰の結婚に、高田英之助はキーマンとなった。「太宰くんの奥さんになる、良い女性はおらんものじゃろうか?」と井伏鱒二が高田の岳父に相談すると、その娘である高田夫人が、「友人の姉はどうだろう」と紹介した。それが石原美知子だった。2人のお見合いをスケッチして作品へ組みこんだのが、「富士には、月見草がよく似合う」の一節でよく知られる短編、「富嶽百景」である(「きめた。多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った」 『走れメロス』P59 新潮文庫)。
 高田が井伏の下に出入りしていなかったら、われらが知る太宰の生涯はなかったろうし、作品も書かれなかったろう。当然、かれらの娘で作家の津島佑子もいないわけだ。
 高田は太宰の良き友人であったようで、互いになにくれとなく相手を思い、世話を焼きあっていたらしい様子が、書簡から窺える。
 特にわたくしが好きな高田宛書簡は、『愛と苦悩の手紙』に載る高田の結婚を祝う手紙だ。曰く、「幸福は、そのまま素直に受けたほうが、正しい。幸福を、逃げる必要は、ない。君のいままでの、くるしさ、ぼくには、たいへんよくわかっています。……でも、もういい。君は、切り抜けた。『おめでとう。』『よかったね。』」と(書簡番号84 P140)。
 こんな手紙をやり取りできる程、かれらは肝胆相照らす仲であったのだ。羨ましい。こんな手紙をもらったら、心があたたかくなるばかりか、いつも以上に優しい気持ちになる。そうして、この生活を絶対に絶対に守ってゆこう、この女性を大切にしよう、不幸にはするまい、悲しませもするまい。裏切るまい、おれは男だ夫だ、と覚悟を固める。
 なお、亀井勝一郎編『愛と苦悩の手紙』は今年、河出文庫から二次文庫化された。但し、こちらは角川文庫版から戦前の初刊を省いたヴァージョンであるので、購入の際はくれぐれもその点を考慮し、いずれを購うか判断されたし。むろん、両方を持つのがいちばん良い。◆

※伊馬春部。折口信夫門下であり──「伊馬春部」は折口が命名。『万葉集』(※※)が出典であることを池田彌三郎に指摘されると、しばらく折口はへそを曲げた、という挿話がある(池田『まれびとの座』P51-52 中央公論社 昭和36年6月)、──太宰の親友であった伊馬には、中公文庫に太宰回想の著作『桜桃の記』がある。近日感想をお披露目する機会があるかもしれない。
※※「うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも」(打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨)大伴坂上郎女 巻八1433□

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。