第2805日目 〈海辺の思い出──太宰に触発されて。〉 [日々の思い・独り言]

 山に囲まれた土地での生活が想像できない。平野部のどまんなかで暮らせる自分が考えられない。なんとなれば、われは海の子、海ある街でしか暮らしたことがないゆえに。
 そうはいうても生まれ故郷であり終の住み処となるであろう横浜では、海は眺めるものにして戯れるものに非ず。名所というも過半が背景に海なくしては成り立たぬ、またその魅力も半減する場所が専らで。
 東京湾で泳ごうなんて物好き、そうは居るまい。潜ったり溺れたり、鶴見線の終点駅から落っこちたり、鉛の玉を喰らって浮かぶ羽目になったならいざ知らず。ここは釣りをするにも不便な街じゃ。大黒ふ頭に海釣り公園、数えればもっとあるんだぞ。そんな声が聞こえてくる。が、大黒ふ頭はともかく海釣り公園で釣り糸垂らすのって、なんだか味気なくない? 釣り堀のでっかいヴァージョンみたいな錯覚に、わたくしはいつも囚われるのです。それに釣り場ではなくレジャーランドでしょう、あすこは。
 神戸。ここも事情は変わらぬ。もっとも幼少期の半年ばかりしか住んでいないのだから、仕方がない。
 やっぱり沼津だ。後ろに愛鷹連峰そうして富士山、目の前は駿河湾である。潮の流れ激しく湾内に深海を擁す、世界に稀有なる駿河湾。
 たくさんの思い出がある。いまよりももっと幅のあった砂浜で遊んだ(海面上昇の報道を本当のことと実感させられる。今昔の風景を見較べてみるとよい)。花火をした。バーベキューをした。水平線の向こうへ沈んでゆく夕陽を堤防に坐りこんで見送った。テトラポッドのなかに秘密基地を作った。宵刻の海上に漂う影を見た。口裂け女対策を友どちと真剣に練った。堤防の遊歩道をずいぶんと遠くまで歩かされた。台風の来た日に高さ10メートル超の堤防を歩いてどこまで進めるか、度胸試しを試みて大人に見附かってこっぴどく叱られた。勿論釣りもした。泳ぎもした。体にコールタールをくっつけた。エトセトラエトセトラ。
 やはりわたくしにとって海とは駿河湾を意味する。東京湾よ、瀬戸内海よ、相済まぬ。不義理と罵られることは覚悟している。
 殆ど毎日駿河湾を眺めて暮らし、波に戯れて遊ぶ日を過ごしていたら、致し方ないことか。だからこそ海への愛着は強く深くあり、水平線の向こうの世界への憧れを募らせて、一時は東京商船大学(当時)に行って将来は船乗りになる、と決めていたのも、まぁ宜なるかな。
 それがいまではどうでせう。東京のまんなかで生活費稼ぎの仕事に従事して、砂を噛むような日々を過ごしている有り様ですよ。とはいえ子供の頃抱いた夢をいつの間にやらどこかへ置いてきてしまったからこその現在であり、亡き婚約者やおぐらんとも出逢えたのかなぁ、本ブログを書いていられるのかなぁ、とつくづく思うのでありますよ。
 そういえばちかごろ気になって読んでいる詩人、丸山薫も海に憧れ、東京高等商船学校へ進んだ履歴を持つのですよね。<海>を介して抱いたシンパシー、といっても良いのかな。余談と知りつつ書いてみた。
 そのうちにLLSの聖地巡礼騒ぎも消滅する未来が実現するでしょうから、そうなったら沼津に帰って黄昏時の駿河湾を眺めて家族や友どちのことなど、思い出して回顧の文章など綴ってみたいですね。◆

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