第2806日目 〈冬の夜長に怪談を訳すこと。〉 [日々の思い・独り言]

 みくらさんさんか、カレンダーを睨んで考えることには、明日はアパートの清掃最終回(でも確か天気予報は雨!)、明後日は廊下のダンボール箱を開梱してなかの本を引っ張り出す、そんなこんなでやはりのんびりできるのは晦日か大晦日あたりからかなぁ、と。
 それでも夜まで作業が食いこむ日は明後日を除けばあり得ないから、宵刻からはブログ用の原稿を書き、太宰『もの思う葦』を読み、その傍ら有朋堂文庫の『雅文小説集』を愉しむ時間は取れそうである。悦ばしき哉、はやくから大掃除を兼ねた片附けに勤しむことは。哀しき哉、この現状を生み出すに至ったわが身の惨事ぞ。
 平井呈一は『怪奇小説傑作集』第1巻の解説の〆括りに、こう書きました。このジャンルのプロパーならば誰しも暗誦できる名文であります。曰く、「この文庫ではじめて恐怖小説を読まれて愛好者になられた方は、これを機会に、語学の勉強にもなることですから、ぜひ原書で恐怖小説に親しまれることをお奨めします。(中略)冬の晩、字引をひきひき恐怖小説を読む醍醐味はなんともいえないもので、いちど味わったら長く忘れることができないものです。試みにはじめてみられるといいと思います」(P393 創元推理文庫 1969/2)と。
 これに誘惑されて実行した人のうち、わたくしもその1人。イギリスの怪談実話のパンフレットを戯れに訳してみたが、どうにも日本の古典を古語辞典や古地図、有職故実や官職要解を傍らに置いて、炬燵に潜りこんで蜜柑を食べながら読む方が性に合っているようで、こちらの記憶の方がやたらと強く残っている。学生時代から昨日に至るまで、わたくしにとっては毎冬の恒例の如き行動である……昨日?
 然り、昨日のことだ。ふと思うところあり、都賀庭鐘『英草子』を開いて漫然と目次をながめ、記憶をほじくり出してアタリを付けて開いたるは巻四第六話「三人の妓女趣を異にして各名をなす話」である。とくに突出した作品ではないが、社会人なりたての頃に有朋堂文庫で読んで感激して、一時は秋成よりも庭鐘に傾倒するきっかけとなった1編。
 庭鐘は秋成に医学を教えたとされる人で、近世読本の祖にして随一の実力を誇った。読本のスタイルを確立させた功労者の1人でもある。その著作はすべてが翻刻されているけれど、手軽に読むことのできるのは本作と『繁野話』、あとは『莠句冊』ぐらいか。
 今夏、つれづれの慰みに筆を執って或る本の企画を立てました。企画という程ご大層なものではないかもしれないが、好きで読み漁ってきた近世期の怪談から好きな作品をピックアップして暇にあかせて現代語訳を試み、各編に「鑑賞の手引き」と「作者の横顔」を付けて、1巻に仕立てようという企み。浅井了意『伽婢子』を読んでいて、思い着きました。「曾呂利物語」にも良いエピソードがあった。色好みの戒めを説いた説教談でもある「色好みなる男、見ぬ恋に手を取る事」は、なかなか凄惨で翻訳の心をくすぐられた。そうして件の本の企画を思い着くやたちまち候補作があとからあとから思い出されて、それを書き留めるだけでもう十分ではないか、というぐらいの量をモレスキンのノートへ書き留めることになった。むろん、『雨月物語』『春雨物語』というビッグ・ネームは外せないまでもそれが幅を効かせることはないよう案配して、と……。
 冬の長い夜に炬燵へ潜って蜜柑を食べながら、憧れの時代に心彷徨わせつつ往古の怪談の翻訳の筆を走らせるのは、なかなか経験できない至福の時であると思います。◆

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