第2885日目 〈太宰治『新ハムレット』/「古典風」「乞食学生」を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 ひょんなことからこちらの感想も書くことになり、改めて「古典風」を読み直しました。ふしぎな力のある短編──というか小品──と思いましたことを、まず申しておきます。
 美濃伯爵の嗣子、十郎と嫁入り前の行儀見習いに来ていた尾上てる。2人は銀のペーパーナイフ盗難事件をきっかけに情痴の仲になる。てるには既に許嫁というべき男があった。やがててるは美濃家を解雇、実家へ戻される。十郎は彼女の家を訪ねた。いまはてるの夫になった男が取り次ぐが、十郎はすぐに踵を返して立ち去る。あとを追いかけてきたてるに離婚を頼むけれど、返事を躊躇うてるを見て笑って否定。後日、十郎は月見草を思わせる佳女と夫婦になった。みんな、しあわせに暮らした。
 これが発表されたのは昭和15(1940)年、『知性』という雑誌の6月号。「走れメロス」の翌月、「女の決闘」最終回の当月のこと。太宰の、特に中期に顕著なストーリーテリングの巧みさ、リーダビリティの豊かさ、アクロバティックな文体の様々。これらは控えめな形で「古典風」でも発揮されているのですが、むしろ全体的な雰囲気や簡素な描写の目立つ点で、わたくしはこの小説にふしぎな力を感じると申したのです。
 なんというか、水彩画のような淡さが却って心に残り、後ろ髪引かれる思いがぶり返して、気附くとまた(なんという目的もなしに)読み返している、という具合なのであります。この「古典風」をわたくしは、特段傑作とも名作とも、絶品とも逸品とも思いません。玉でもなければ石でもない。言い方は悪いかもしれないけれど、<その他大勢>枠の1つでしかないでしょう。それでもわたくしには「古典風」、気になって気になって仕方のない小説なのであります。
 最後、H章の、たった1行、「みんな、幸福に暮らした」(P31)てふをそのまんま、字義通りに受けとめて、かれらの行く末の安寧なることを祈りたい。それが打算的な愛であったとしても、忘れるための結婚であったり妥協の結婚、諦めるための結婚であったとしても、神によって1つに結び合わされた縁が絶ちきられることがあってはならないからであります。
 「いいんだ、だいじょうぶだ。お互い死なない事だけは、約束しよう。なんて言いながら、危ないのは、僕のほうなんだからなあ」(P30)
 ──ああ、それにしても「古典風」を読んで、太宰治筆「ネロ帝伝」を読んでみたかった、と嗟嘆し、つくづくそれが書かれなかったことを残念に思うのは、けっしてわたくしだけではありますまい。斯く慨嘆させる程に、その作は胸躍らせる物語であります。いよいよこれから母アグリッパの息子を即位させるための権謀実数が繰り広げられる、そうしてネロが即位してローマ大火の事件を契機にキリスト教徒弾圧、その影で執行されたペトロやパウロの処刑、ペトロがローマ郊外で遭遇したイエスの幻など、太宰の才能を見せつけるにじゅうぶんな題材であったがために、わたくしはこれの書かれなかったことを無念に思うのです。

 「乞食学生」は同じ年、『若草』誌の7月号から12月号に連載されました。舞台は玉川上水に始まり渋谷を経て、玉川上水に終わる中編であります。
 まだ「フォスフォレッセンス」を読んでいない時分でもあり、読み終えて思わず口から出たのは、なんだこれ? という独り言。奇妙なものを読んだ気分でした。とはいえ、この、なんだこれ? とは先に読んだ「佐渡」で洩らした同じ言葉とは質が違う。まさかここで夢を扱った小説に出喰わすとは思わなんだ、そんな驚きを伴うた、なんだこれ? なのであります。
 「私の愚作は天が下に隠れも無きものとして店頭にさらされる」(P106)と自己卑下する、太宰自身をモデルにした32才の小説家──本作が発表されたとし、太宰はまさに32才であった──が原稿を投函したあと玉川上水縁を歩いていると、水遊びをしている少年に出会う。少年は今夜、知己の家で記録映画の弁士役を買って出ていたが、どうも気が乗らない。はっきりいわぬまでも、厭なのである。そこで小説家がその役を代わることになり、少年の友人に制服制帽を借りるため、帝都電鉄で渋谷へ。が、けっきょく、件の知己の家には行かず、渋谷の食堂で大いに飲んだくれて、怪気炎をあげるのである。酔い潰れた小説家が目を覚ますと玉川上水の畔、草の褥で寝ていた様子。かの少年(の面影を残した制服制帽姿の青年)が傍らにいるが、かれは小説家の話を冷笑して去り、小説家はその後ろ姿を見送る。
 ──だいたいそんな筋でありますが、幕切れの呆気なさにちょっと涙腺が緩んでしまいます。その一方で、小説家と2人の少年たちとの交わりに痛いものを感じてしまうのです。
 いわば小説家は夢のなかで生の充実を体験し、年下の者と会話し酒呑むことで気持ちが若返るのを経験した。そうしたことはわたくしも身に覚えがあり、と同時に忘れ難き一夜の思い出として、あれから10年以上になる現在でも記憶のなかにあるからです。自分語りになるのでこれより先は口を慎みますが、小説家が体のうちに感じる充実や若やいだ気持ちに心が軽くなるのを喜ぶ影に、ふとした拍子に冷水をぶっかけられるように、現実の年齢や体にのし掛かる重さ(物理的それというのでは無論なく、怠さ、目に見えぬ手枷足枷、というものです)、諦念を根っこにした感性の陰りが顔を出して、ゆめ小説家を夢幻の世界に留まることを許さぬ昏い本流に、かれ自身囚われてしまっているのが目についてしまい、いうなれば光と影のコントラストの激しさに、愕然としてしまうのです。
 およそ作劇技術に於いて夢オチとは、いちばん手っ取り早くとっちらかった話を収束させるに便利な手段でありますが、言い方を換えると実際は取り扱い要注意な技でもあります。前述の「フォスフォレッセンス」は夢に導かれて成った奇跡の逸品でありますが、こちら「乞食学生」は紛うことなき夢オチ小説、その常として最後の一景はピリリと辛い。<人喰い川>玉川上水で泳いでいたはずの少年が制服制帽姿で小説家を見おろし、かれにしてみれば素っ頓狂な話をしてくる相手に、誰だお前はバカな質問をする、と侮蔑の表情を投げて立ち去る幕切れは、じつに侘しく、読み終えたとき胸のなかに秋風吹くのを感じさせます。
 太宰文学のなかではそれ程の作物でないだろうけれど、こうしたスタイルの作品も守備範疇として、己のものにしてしまうところに、文章テクニックとストーリーテリングの巧みさ、懐の深さなど改めて実感し、太宰治という小説家の底知れぬ<凄さ>にただただ溜め息を洩らすばかり。言葉を失ってしまう、とはこのような小説家に対する、或る意味で最大級の讃辞といえましょう。
 なお、作中カール・ヒルティの名前が唐突に出ることにびっくり驚き、いわれなく喜びの感情が体を駆け巡るのを覚えると共に、気になるところでもあります。そこで触れられる学生と酒に関する話題は、なんというヒルティの著作に載るのだろう。調べてみると、「禁酒運動における大学生の使命」というエッセイである可能性が、大。白水社の新版『ヒルティ著作集』を繙いても、すくなくとも目次に題名を見附けることはできませんでした。この点についてはしばらくの間、翻訳史の整理と並行して典拠探しを進めるつもりでおります。
 ──昨日、『グッド・バイ』を興奮と歓喜と淋しさのうちに読み終えました。こちらの感想も近いうちに、お披露目させていただきます。◆

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