第2959日目 〈わかりやすく、読みやすい文章を書く人たち──赤川次郎や渡部昇一。〉 [日々の思い・独り言]

 多量の本を世に送り出した人程文章が読みやすい、というのは事実なのでしょうか。これを検証するにはちと時間が足りず、また参考資料となるべき本も殆どない。出先で──というか会社帰りにブログの原稿を書く弊害だな。
 それはともかく、たとえば赤川次郎。数多の老若男女に知られて読まれ、世代を超えて読み継がれている理由の1つは、文章の読みやすさ、わかりやすさ、という点にこそあろう。読みやすい文章というのはイコール、含みがなくて純度が高い、しかも等身大の言葉で綴られた文章である、ということだ。要するに、一度読み始めたらページを繰る手が止まらない、ということ。即ち読みやすい文章とは読書への没頭に直結するわけである。
 東野圭吾をわたくしは好かないが、それでもあれだけ読まれている秘密の1つに、文章の明晰さがあることは否定できないと思う。ただ東野圭吾の場合、赤川次郎と異なるのはその文章に仕掛けがたっぷり施されている場合があって、うっかり読み流したりできない、ということか。
 赤川次郎の文章が体のなかから自然体で流れてきたものだとすれば、東野圭吾の文章は本能的に作り出された彫心鏤骨のそれで、しかもそこに使われている言葉の一つ一つは単純だけれど一個の文章としてまとまったときにまるで違う装いを見せるという、アクロバティックな文章なのだ──熱狂的な東野ファンにいわせれたらば大いに反論、雑言を浴びるところだろうけれど……。
 小説家は文章が命なのは当たり前の話だが、それは本を書く人皆に等しく課せられることでもある。読めない文章で埋められた本を書く輩は、パルプを無駄に消費し地球環境悪化の手助けをしている者と見做しても構わないと思う。
 学者で読みやすい文章を書く最右翼は誰か、と見渡せば、渡部昇一の名を挙げるに如くはない。渡部昇一は本当にわかりやすく、読みやすく、裏のない文章を書く。深い学識と洞察を背景に書かれた文章は、自分に偽りのない言葉で満ちあふれている。
 このわかりやすい、読みやすい文章が生み出される秘密は、『クオリティ・ライフの発想』(講談社文庫)で語られている。曰く、ものを書くとき方言で亡母に語りかけて、亡母を納得させられるようであればその考えは本物だ、と。渡部の母は特に学歴などもない女性であったが、経験に裏打ちされた言葉はどんな学者や政治家の言葉よりも真実を突いていた、と渡部は述懐する。
 こんな方法で綴られた文章がわかりやすく、読みやすいのは当たり前である。が、その一方で渡部昇一が教壇に立つ人であったこともけっして見逃せない。教える立場になった人ならば誰しも経験するように、小難しい言葉で自分を飾るのは簡単だが、その言葉は絶対に聞いている人の胸には響かない、届かない、残らない。池上彰も同様の発言をしていた、と記憶する。平易な言葉であることが第一、作為をこらさぬことが必須、素直であること・正直であることが鉄則。
 渡部昇一の本を読んで、不勉強ゆえテーマについて理解及ばぬことはあれど、その文章を不明と感じたことは一度もない。知的正直に裏打ちされた文章の見本というて構わないだろう。弟子たちが渡部の学究としての業績を顕彰した『学びて厭わず、教えて倦まず ”知の巨人”渡部昇一が遺した学ぶべきもの』(辰巳出版 2020/08)でも触れているように、渡部昇一の本を読んでいてその文章が理解できなかったという人は、おそらく誰一人いないと思うのだ。
 わたくしは赤川次郎や渡部昇一のようなわかりやすく、読みやすい文章を書きたい。……このエッセイの文章は、どうかしらん?◆


知的生活の方法 (講談社現代新書)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

  • 作者: 渡部昇一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/05/17
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学びて厭わず、教えて倦まず

学びて厭わず、教えて倦まず "知の巨人" 渡部昇一が遺した学ぶべきもの

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