第2958日目 〈ソフトとしての音楽から永遠に離れて……。〉 [日々の思い・独り言]

 突発性難聴がいちおうの収まりをみせた頃に滲出性中耳炎を患い、わたくしは聴力を失った。
 それを悲観して八つ当たり気味に、音盤連合へCD/LP/DVD/Blu-ray/音楽書籍、様々取り混ぜて宅配便で送りつけたダンボール箱は優に20箱を超えていた。過去最大級の処分枚数である。
 それを積みこんだ宅配便のトラックが家の前から去ったとき、足許の地面が割れて裂けて砕けて自分が消えてしまいそうな気分に襲われた。事実、これまで自分の人生を構成していた割と大きなものが確実に、わたくしのなかから永遠に失われたのだ。
 かつてCDが大量に収まっていた書棚には代わって、書物が一分の隙もないぐらいに詰めこまれている。そこに音盤がない事実に、ようやく馴れてきた。が、すべてを手放したわけではない。処分することがどうしてもできなかったCDを、1つのダンボール箱にしまいこんだ。そのダンボール箱は1年以上、開梱していない。iTunesへ取りこんであるから、という理由以上にその箱を開けるのが怖いのだ。その恐怖についてわたくしは言葉を与えることが出来ない。
 部屋のなかにあって顔を見せているCDはたった2枚。シノーポリ=チェコ・フィルのブラームス《ドイツ・レクイエム》とヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの最新アルバム《Weather》である。前者はドイツ・グラモフォンからリリースされてタワーレコードが復刻した盤。わたくしが初めて聴いた《ドイツ・レクイエム》だ。ヘレヴェッヘ、カラヤンと並んでわたくしのマイ・ベスト3の1枚である。とはいえ、こちらも久しくCDプレーヤーのトレイに載せたことがない。
 むかしのように音楽に満ちあふれた生活を送っていた頃に較べれば、いまは途轍もなく彩りに欠けた侘しい生活である。なによりも潤いがないよね。しかし、案外平気だ。この状況に最早不満を感じることがない。
 強がるな? 否、そんなことはない。モナミ、本当のことなのだ。
 これまで蓄積してきた音楽の数々──クラシックであれ洋楽であれ、J-POPであれジャズであれ、いまのわたくしは好きなときに好きな音楽を心のなかで奏でることができる。記憶の襞にこびりついた音楽を再生することで、わたくしは平安と慰撫のなかに浸ることができている。もっともその行為に記憶力の維持という目的があることは否定できないけれど。
 かつては当たり前のようにそこにあったせいで、有り難みも幸福も稀薄だった。が、聴力を欠いたいまだからこそ、音楽の素晴らしさを実感している。音楽が人に与える力を実感している。
 聴力を失ったいまでも音楽を愛することができることは、なんと幸せなことだろう。病患ってそれを知るとは、如何にも皮肉なことだけれどね。◆


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