第2966日目 〈酒呑み、聖書読み。〉 [日々の思い・独り言]

 ちかごろのマイ・ブーム(もはや死語?)は日本酒を呑みながら聖書を読むことである。
 日本酒を呑みながら聖書を開き、ふむふむ、なるほど、と頷きながら読んでいる様子は傍から見ると、相当滑稽に映るらしい。然る後に読んでいる本が聖書と判明するや、滑稽な場面は畏怖の感情を呼び起こすことはまずなく、寧ろ危険視されたりする。『法の書』とか『ネクロノミコン』とか読んでいるわけじゃないんだから良いのではないか、と思うのだけれど、まぁ、酒呑みながら宗教の本読んでいる奴ぁ、警戒されて仕方ないかもしれないですな。
 けれどモナミ、聖書を読みながら飲むに相応しいのは、コーヒーと日本酒ですよ、やっぱり。
 単に自分の嗜好ゆえではあるが、思索のため己を沈潜させるにこれら程効果のある飲み物はないのではないか、と本気でわたくしは信じているのだ。
 コーヒーは専ら創作時に効能を発揮する飲み物であるが、カフェインがどうとかそんな小難しいことは考えたことはない。経験から実感しているに過ぎない。経験とは本ブログにてお披露目された聖書読書ノート、或いはエッセイの過半がコーヒーを飲みながら(=マックス・ブランド風にいえば、”絶えず燃料を補給しながら”)書かれたことを指す。脳ミソが活性化したか、と問われれば、常に限られた時間のなかで書きあげることができた事実を以て回答とせざるを得ない。
 日本酒の場合は? これはもう体質的に合っている飲み物ゆえ、どれだけ呑んでも平然としていられる。流石に一生分4本半空けたあとは筋の通った文章を書くことも、なにかについて考えることもほぼ不可能だったけれど……。
 能動的/受動的知的活動と日本酒を呑んでいるときの脳ミソの活動について書かれた論文やブログ記事などたまに探して、見附かると読んでみるのだが、そのなかに納得できるような内容のものは1つもなかった。せめてハマトンが『知的生活』で知的活動とワインの因果関係について触れたと同じようなものがあれば良いのだけれど……観察を続けて自分で書くしかないか。
 そんな風に未来のテーマが出来たところで、擱筆。
 さぁ、今宵も一献、傾けて飲むとしよう。◆

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