第2968日目 〈本に命を奪われるのは、まっぴら御免だ。〉 [日々の思い・独り言]

 はなはだ嫌気がさしてきた。わが財産を喰い潰す勢いで増殖を企み、わが陋屋の空間という空間を埋め尽くす気満々な”やつら”の存在に、わたくしは気が狂いそうだ。かつては増えてゆくことに得もいわれぬ喜びと欲望の充足を感じ、片時も傍らから離すことなく生涯の伴侶とまで定めた”やつら”。即ち、書物の存在がちかごろは頗る邪魔っ気に思えてきて、いっそのこと殆どすべてを売却してしまいたい、とさえ思うようになったのである。この本がいつか、わたくしの命を奪うことになるかもしれない、と恐怖に駆られた出来事もあったから。
 廊下を塞ぎ、部屋の入り口を半分ばかし塞ぎ、机の前とベッドに行くまでの空間は獣道というた方が正確だ。荷物を持って部屋を出入りするとき、布団を干そうと階下まで運ぶとき、必ず本にぶつかり雪崩を起こし(否、山崩れというべきか)、ぷんすかぷんすかしながら崩れた本をまた絶妙な具合で積みあげる。先程恐怖に駆られたことがあった、というたがそれは過日の夜──東北地方で震度6強の地震が発生して関東も結構な揺れを観測したあの晩、ご推察の通り部屋に積みあげられた本も倒壊したことを指す。
 しかし面白いことに、絶妙な具合に積みあげられた本の山は耐震性に優れているらしく、ゆらゆら揺らぐことはあっても崩れ落ちるには至らなかったのだ。倒壊したのは寧ろ、中途半端な高さできちんと積まれた山だった。それが崩れて地滑りを起こし、隣の山、そのまた隣の山に波及して連鎖的に崩れてゆき、連峰は姿を消した。それを高みから見おろすアルプスの峰峰……。いやぁ、その晩は足の踏み場もなくなり、翌日は仕事だというのに片附けのため夜の2時頃まで起きていましたよ。えへ。
 それが切っ掛けだったのかしらん、本を棄てよう、と思い立ったのは。終活じゃぁないぞ、予めいっておくよ。いつだったか、最近よく利用する阿佐ヶ谷の古書店にメールして、推理小説(文庫・新書・単行本)と純文学(単行本)を売却する予定だとお話した記憶が確かにあるが、それに加えて、床を埋め尽くす本は片っ端から処分対象にすることにしたのだ。勿論なかには必要であったり、読むため書くために引っ張り出してきたものもあるから一概に全部、というわけではないけれど、基本的に床に積んである本は棄てることにした……潔く。
 処分するためにはまたダンボール箱を持ちこまなくてはならないから部屋はまた狭くなるけれど、空間を維持しながら処分してゆくなんて芸当、わたくしの部屋ではほぼ不可能なので仕方のないことだとこればっかりは諦めている。床がさっぱりしたらこの機会に、棚に収まる本も2年ぶりに点検してみようと思う。残すべき本と不要な本に二分できたら良いのだけれど、そうも上手くいかない。迷いが必ず生じる。近藤麻里子のようにときめきを基準にするなんて、殊本についてはふざけた考えだ。それを基準にしていたら、最終的には減らせるだろうけれどそこに至るまで一体何10年掛かると思ってるんだ、って話。
 さて、再び本が崩れる前に、重い腰をあげましょう。有事のとき、命を守る行動が取れるように。◆

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