第2973日目 〈酒が入ると歴史の本がよくわかる。〉 [日々の思い・独り言]

 Twitterでフォローさせていただいているうちのお一人、北海道から現在上京中の女性が今日(昨日ですか)池袋のバーにて<変態文学を語り合いながら、美味い日本酒をたらふく呑み耽る会>を主催される。2年近くその方のツイートを拝見しているが、語彙力の確かさと文章の組み立て方、そうして内容の変態ぶりと真性飲んだくれッぷりに、投稿のたび感銘を受けているのだ。
 是非いっぺんオフ会でお会いして、お話を傾聴したく望んでいたのだが、残念ながら今回お会いすることはできない。いやぁ、10日程度とはいえしばらくTwitterから離れていたら、上京されるという情報を摑み損ねていただけなんですけれどね。本日お休みなのに、既に予定は入っており、しかも休日は多摩川を超えること頑なに忌避する体質ゆえ、無念を心のなかで弄びつつ山手線もしくは湘南新宿ラインの乗客となるのは諦めた。明日は仕事だしね。
 それはさておき。
 現在、みくらさんさんかは地元の市民酒場(市内に3軒しか残ってないの!)で蜷局を巻いている。※蜷局を巻く→或る場所に腰を据えて、動かないでいる様子。
 聖書を読むのに飽きるとコップのなかの宮城の酒を飲み干した後、新たに注文したモツ煮を食べながらおもむろにMBAを開き、あたりに配慮して(といっても客はわたくし以外に2人しかいない、しかもその2人はお仲間で既に相当デキアガッテイル)極めて静かにキーボードを叩きながら、本稿を書いているのだ。
 あら可笑しいね、逞しいね、オッペケペッポーペッポッポー。
 酒を呑みながら読む聖書は最高だ、と過日の本ブログにて喚いた記憶がある。も少し具体的にいえば、より相応しく思うのは歴史書だ。モーセ五書も歴史書の性格を備えるが、こちらは酒呑みながら読んでいてもまったく面白くない。なぜか? 説教臭くて胡散臭くて押しつけがましく、やたら優等生的な面が障るからだ(個人の感想です)。まぁ、それでも読んでて面白いと感じられるのは、「創世記」のソドムとゴモラのエピソード、「レビ記」にある神聖法典の件かしらん。
 対して「ヨシュア記」以後は人間臭いドラマの釣瓶打ちである。アブラハムの神の言葉を錦の御旗に侵攻と殺戮が繰り返すイスラエルの民。王制を求める民の声に負けて渋々王を選ばざるを得ないサムエル、ダビデの人望に嫉妬して相手を陥れようとするサウル王。ダビデとソロモンはどうでもよくて分裂後の北王国と南王国の辿る波瀾万丈……北には善を積む王は終ぞ現れず、南も似たようなものだが思い出したように出現する「神の目に正しいと映る行いをした」王たち。列強国の軍事衝突に巻きこまれて、時代の波に翻弄されて遂には瓦解する2つの国家。バビロン捕囚を経験して父祖の地に戻ったユダヤ人たちのエルサレム再建劇。ディアドコイ戦争の覇者たちによるシリア支配に反旗を翻して民族復権を果たすまでのドラマを描いたマカバイ一族の歴史。
 正直なところ、オリエント史に関心を持つ人は1冊の良き概説書を読み通したあとは、旧約聖書と旧約聖書続編に直接当たった方が得るところは極めて多いと思うんだよな。今日の学者先生方が書かれる中東史の出発点は、すくなくともシリア・パレスティナ地方の歴史について第一級史料の一つとなるのは、この2つであるからだ。しかも時間的に長期にわたり、言及される地域もシリアのみならずオリエント全域、エジプト、「マカバイ記」の頃には地中海世界にまでその対象が拡大されるからだ。
 頻出する類似の名前、或いは同名異人に悩まされることはあるやも知れぬが、まぁそこは一遍とはいえ読み通してその後も何度か部分的に読み返しているお陰もあるかな、あまり混乱したことはない。とまれ、酒呑んでる頭でそんな細かい点を一々考えていられるはずがない。そんな風に考えると、酒の入った頭の方が歴史をうまく俯瞰して大局を捉えられるのかもしれない……とは都合が良すぎか? 自分勝手に過ぎるかな?
 酒が入った方が<歴史>の全体像をうまく把握できるなんて、可笑しいね。灰色の脳細胞が活発化するのかしらね、モナミ? ♪オッペケペッポーペッポッポー♪ なんだか『新古今殺人草子』の藤原定夫講師みたいな気分になってきたぞ。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。