第2984日目 〈アフターCOVID-19の世界を見るために、新しい世界史の本が生まれることを望む。〉 [日々の思い・独り言]

 本日は03月31日水曜日(のはず)。2020年度/令和03年度、最後の更新となります。珍しくこんな書き出しで始めたのは、いうまでもありません、覚えておいででしょうか、あの日の約束を……なんて、思わせぶりな書き方をしました。特に意味はありません。なんとなく、いってみたかっただけです。相済みません。
 昔、柏原芳恵という歌手がいて、皇太子時代の天皇陛下にはアイドル的存在だった。オックスフォード大学留学中は鏡の隅にブロマイドを貼っていたことが話題となり、妃殿下候補なんて噂されたこともあったでな。その頃皇后陛下とはまだお会いされていないと思うから、まぁ微笑ましき青春の1ページと捉えましょう。
 天皇陛下といえば、これはTwitterで拝見したものだけれど、即位後にウルトラセブンと面会されている。ウルトラ・アイを装着して大変ご満足されているご様子で、この方が象徴として御座に坐す国の民でいて本当に良かったなぁ、と喜びに浸ったこともあった。太陽が出ている限り活動が可能な(3分という時間制限があるにせよ)ウルトラ一族と、天照大御神という太陽神を皇祖神とする天皇家は案外親和性が良いのかもしれないな、と思いながらそのあと、何年振りかで『古事記』上巻を読んだことでありますよ。
 天皇陛下といえば、オックスフォード大学留学中の出来事を綴った『テムズのほとりで』という新書サイズの著書を、学習院大学出版部から出されている。ディスコ初体験やハイドンの弦楽四重奏曲にまつわるエピソード(どうでもいいが、「弦楽四重奏曲」を変換したら最初、「減額し重奏曲」ってなったんだけど。変換がこういうときだけ正確にされるのはなぜだ?)、テムズ川の水運交通をめぐる考察や御所内を通る街道の跡など、専攻にかかわるお話などがてんこ盛りで読んでいて飽きないのだが、こちらは後日感想文のお披露目をさせていただきましょう。

 さて、では長くなったがマクラはここまで。え!? とかいうな。
 タイトルを見れば上の話がわずか一点を除いてのみ該当しないのはわかるでしょう。
 では、本題です。

 最近、日本史に関してはそれこそ渡部昇一の一連の著作や佐藤優の肝いりで復刊された『大学への日本史』改め『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』と『近代・現代 実用編』の2冊を核に通史を学び直した。それを契機に大学生協でバイトしていた時分に買い揃えていった『日本の近世』(中央公論新社)、子供の頃に買ってもらった『学習漫画 日本の歴史』(学研)を引っ張り出して、蟄居の閑暇に読み耽った。各時代の出来事や人物については中公新書が特に最近はイキが良いのでこちらに頼って、ぐちゃぐちゃの読書ライフを更にぐちゃぐちゃにしながら愉しんでいる。
 一通り通史についての再勉強にメドを立てると今度は、自ずと世界史へ目が向くようになる。実は世界史についてはいわゆる通史というもの、中央公論新社から1990年代に出た『世界の歴史』、単行本と文庫本でしか俯瞰したことがない。勿論、高校時代の教科書は別である。
 正直、これで満足しているので構わないのだけれど、ご承知のように21世紀になって世界は大きく変化した。20世紀には考えもつかなかった出来事が頻出している。毎年、ではなくほぼ毎時、世界史は書き換えられている。それに追いつくことは紙媒体であろうと電脳空間の記事であろうと不可能事に近い。
 それでも──というかだからこそ、最新のデータと報道と研究に準拠した21世紀版<世界の歴史>が必要だ。世界史は疾うに西欧中心のそれから逸脱して、アジア圏にページをたくさん割かなくては説明できない状況になっている。特定分野から見た21世紀の世界史も結構だが、却ってそれが為に、古代から現代につながる歴史の道が見えづらくなっているように感じられてならない。
 日を追う毎に世界情勢は混迷を極めている。COVID-19がもたらす不安からいつ解放されるのか、その気配はない。そんな未来をしかと見通せない”いま”だからこそ、わたくしは、そんな世界史を──ヨーロッパのみならずアフリカ、ユーラシア、アジア全域、アフリカ、ミクロネシア、オセアニア、そうして極地までをフォローした歴史書を求めたいのだ。歴史に刻まれた証言を基に明日を切り拓くヒントは必ずあるはず。希望を捨ててはならない。
 <賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ>なんて愚かな諺があるけれど、賢者であろうとなかろうと歴史から学べることは沢山ある。それを正しく行うためにも、新しい世界史の本が誕生することを望む。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。