第2988日目 〈綾辻行人:原作=清原紘:漫画『十角館の殺人』第3巻を読みました。〉 [日々の思い・独り言]
某メガバンクにて融資申込に必要な口座開設を済ませた休日。久しぶりに本屋さんに寄って、たくさん本を買った。至福の一刻、されど帰れば空間逼迫顔色真っ青。本気で蔵書保管のために引っ越すこと考えんとアカンなぁ。
それはさておき。
ようやく綾辻行人:原作=清原紘:漫画『十角館の殺人』第3巻(講談社アフタヌーンKC、2021/03)を手に入れた。お見舞い相手が寝ている脇で読むのに相応しい作品ではない。されど、一刻も早くシュリンクを破いて読み耽りたい欲望は抑えられようはずがない。
実はいちばん興味があったのは、事件直前の中村青司と紅次郎が交わした、原作小説では新装改訂版で追記されたあの会話──我々は新たな段階を目指す、大いなる闇の祝福を受けて──が再現されているのか否か、であった。『暗黒館の殺人』を承けて改訂された部分の1つだが、コミカライズが原作小説から如何に離れ、如何に再現しているか、その判断の試金石となる部分でもある。
結果は是非本巻をお読みいただき確認されたい……といいたいところだが、本ブログの読者が皆、綾辻行人ファンというわけはなかろうし、このコミカライズを第1巻から最新巻まで通して読まれるわけでも(残念ながら)ない。為、この箇所についてだけ触れてしまうと──件の台詞は残されていたっ! ここを読んだときの背筋の震え、歓喜を伴った興奮、コミックを読んでいたこんな感じを味わう経験なぞ、そう滅多にあるものではない。
こうなったらシリーズ内時系列では事実上の出発点となる『暗黒館の殺人』全巻を完全コミカライズしなくちゃ、ダメですね。だってこの作品ありきの中村青司の台詞ですから。背景を知った上で読むのと知らずに読み流すのとでは、まったく面白みが異なります。原作小説の分厚いボリューム(新書版で上下巻、文庫版で全4巻)に負けた人の多いらしいことは、某巨大マーケットプレイスの評価コメント欄を見れば明らか。ならばコミカライズで読破して、この異様な世界を堪能していただきたい。ダリアの宴……。
コミカライズ版『十角館の殺人』第4巻は今年の秋頃の発売という。全巻が出揃った暁には改めて、本作の感想文を認めましょう。◆
それはさておき。
ようやく綾辻行人:原作=清原紘:漫画『十角館の殺人』第3巻(講談社アフタヌーンKC、2021/03)を手に入れた。お見舞い相手が寝ている脇で読むのに相応しい作品ではない。されど、一刻も早くシュリンクを破いて読み耽りたい欲望は抑えられようはずがない。
実はいちばん興味があったのは、事件直前の中村青司と紅次郎が交わした、原作小説では新装改訂版で追記されたあの会話──我々は新たな段階を目指す、大いなる闇の祝福を受けて──が再現されているのか否か、であった。『暗黒館の殺人』を承けて改訂された部分の1つだが、コミカライズが原作小説から如何に離れ、如何に再現しているか、その判断の試金石となる部分でもある。
結果は是非本巻をお読みいただき確認されたい……といいたいところだが、本ブログの読者が皆、綾辻行人ファンというわけはなかろうし、このコミカライズを第1巻から最新巻まで通して読まれるわけでも(残念ながら)ない。為、この箇所についてだけ触れてしまうと──件の台詞は残されていたっ! ここを読んだときの背筋の震え、歓喜を伴った興奮、コミックを読んでいたこんな感じを味わう経験なぞ、そう滅多にあるものではない。
こうなったらシリーズ内時系列では事実上の出発点となる『暗黒館の殺人』全巻を完全コミカライズしなくちゃ、ダメですね。だってこの作品ありきの中村青司の台詞ですから。背景を知った上で読むのと知らずに読み流すのとでは、まったく面白みが異なります。原作小説の分厚いボリューム(新書版で上下巻、文庫版で全4巻)に負けた人の多いらしいことは、某巨大マーケットプレイスの評価コメント欄を見れば明らか。ならばコミカライズで読破して、この異様な世界を堪能していただきたい。ダリアの宴……。
コミカライズ版『十角館の殺人』第4巻は今年の秋頃の発売という。全巻が出揃った暁には改めて、本作の感想文を認めましょう。◆