第3003日目 〈次の1000日を目指して。〉 [日々の思い・独り言]

 大事なこと、くだらないことを書いて早……13年? 実質的には11年ちょっとぐらいだろうけれど、よくもここまで書いてきた、続けてきたな、とわがことながら感心している。そんなに粘り強くもなければ、一所懸命の精神で事にあたる性格でもない。大きなものをコツコツと、時間をかけて作りあげてゆく計画性も辛抱強さも、わたくしは持ち合わせていない。
 にもかかわらず本ブログを2008年から続けてこられたのは、どうしてなのだろう? 友どちもこれに関しては小首を傾げている。わたくしという人間をよぅく知るかれらには、足掛け13年も一つのことに取り組み続けて斯様なメモリアルな日を迎えられた事実に、驚きを隠せないのだ……曰く、「ねぇ、あのブログを書いているみくらってぇのは、本当に俺たちが知っているみくらなのかい?」と。
 当の本人が数字で実証された揺るがし難い事実を信じていないのだから、友とはいえ第三者が信じたくても信じられない、っていうのは仕方のないことですね。でも、まぁ、数字は嘘をつかないから。事実に相違することを数字が示したならばそれは数字の責任ではなく、運用する人間の側に問題が生じているからに他ならない。然り、数字は嘘をつかない。
 しかし、とわたくしは思うのである。今日までの継続はきっと、本ブログの根幹が──出発点が聖書読書ノートブログであったせいだ、と。7年目の<9.11>を前にして、その年のわたくしの心はざわめいていた。そのとき聖書へ手を伸ばして読み始めたのは、きっと偶然ではない。心のざわめきを覚えたのは当時、再開発も最終局面に入っていた六本木一丁目の界隈を歩いていたときだったのだから;即ちプロテスタントであった亡き婚約者の墓参の帰りの出来事であったのだ。そうして何や彼やの末に旧約聖書を読んで書き留めたメモや疑問を、ブログで記録してゆこう、というのが本ブログ誕生前夜の経緯である。
 13年も経ったんだね……長かったなぁ。でも、充実していた。その歳月を通じて書くことがどれだけ好きなのか、性に合っているのか、骨身に染みついて調伏し難き道楽であるのか、よくわかりました。
 書く話題を思い浮かばなかったり、原稿が書けなかったり/まとまらなかったり等々の理由で嫌気がさしたことも間々ある。が、毎日書き続けていれば発想の井戸は一時的に干ばつの危機に見舞われることあれど、雨を待たずに乾いた大地のひび割れたところから地下水が染み出してきて、いつしか汲みあげ掬い取ることのできるだけの水が、井戸の底に溜まることもあるのだ。不思議な事象だが、それは現実なんだ。特にアウトプット、インプットを意識したわけでもないのにね。
 この度こうして節目の第3000日を迎えたことで、本ブログを続けてゆく気になれたよ。トラタヌかもしれぬが、このペースなら4年後には第4000日目を、8年から9年後には第5000日目を迎えられる目算。こうして書き続けてきたからこそ、ネタ詰まりになって閉鎖の危機に直面しても「なんとかなるさ」と楽天的に構えて乗り切ってこられた。そんな風に捉えれば、上述の第4000日目、第5000日目の到達時期の予測もわりと現実味濃厚ではないでしょうか。そうか、第5000日目が朧ろ気ながら視界に入ってくる頃、本ブログは開設20周年を迎えもするわけか……そう考えると、やっぱり継続することって偉大であるな!
 そのとき私生活に於いては隣にいてほしいなぁ──いや、考えちゃダメだ。これ以上思うことはあなた、罪ですよ、修羅の道ですよ。まぁ、それでも構わないけれどね。◆

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