第3020日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉1/9 [小説 人生は斯くの如し]

 除隊してから流れ流れてこの北陸の地に根を下ろして、もう15年になります。
 いまは、と或る電器部品のメーカーで営業部長です。偉そうな肩書きですが、そんなのはただのレッテルに過ぎません。仕事の軋轢や楽しみなんて、肩書きに関係なく身に降りかかる出来事なのですから。
 給料はそこそこの額をもらっています。散在する理由も趣味もないので貯金していたら、いつのまにか独りで住むにはちょっと広くも感じるコテージの頭金ぐらいにはなり、残りのローンは先々月に完済しました。しかし、15年前と同じようにわびしい毎日を送っております。
 トイレで社長の恋人(男)と隣になったとき、図らずも相手の口から会社の経営状態が良くないことを知らされました。曰く、次の仕事を探し始めていた方がいいかもしれない、いつ他の会社に売却されたりしても可笑しくないから、だってうちはこの手の会社じゃ国内トップレヴェルだからね、狙っている会社はごまんとあるよ、と。
 そんなわたくしの楽しみといえば、仕事帰りに馴染みのパブでギネスを2パイント、フィッシュ・アンド・チップスかミートパイを腹に入れることと、5年程前にオープンした商店街の喫茶店に立ち寄って、なぜかいつも(正統派の)メイド服を着ているオーナーとしゃべること(勿論飲食も)、でしょうか。あとは、そうですね、主に人文学系の本を読むことぐらいですが、そちらはちかごろご無沙汰で、何年か周期で巡ってくるロシア文学熱に、いまは浮かされています。
 恋人で婚約者だった女性とはロシアで出会い、彼女の曾祖父が一部のロシア文学史に名前を残す方であるとを教えられたことから、段々とこの摩訶不思議な文学の世界に囚われていったのです。その彼女は、もうこの世にいません。
 2度目の告白でようやくOKをもらいました。わたくしが日本に戻って除隊手続きを済ませたあと、彼女も帰国して式を挙げる予定でした。が、帰りの飛行機のトラブルで亡き人となりました。その直前に届いた手紙には、喜びと希望に満ちあふれたわれらの未来展望が、端正な筆跡で綴られていました。訃報と新聞記事と一緒にその手紙は筐底奥深くに仕舞ってあります。
 わたくしのラキシス、わたくしのアルウェン、わたくしのイゾルデ、あなたはいま、そちらでなにをしているんだい?
 ときどき、会社の帰りなどにふっと、星が瞬くこの田舎町の夜空を見あげます。あれ以後誰かに好意こそ持っても愛に変化することはなく、これから誰かと一緒になる未来は想像できませんでした。これからもそうなのでしょう。彼女を心のなかから消すことのできる人が果たして、自分の前に現れることなどあるのだろうか。いつまで自分はこの地にいられるのか、いつまでいまの会社で働くことができるのか、これからの自分の未来がしかと見通せぬことに苛立ちを覚えます。
 「この空しい人生の日々に/わたしはすべてを見極めた。/善人がその善ゆえに滅びることもあり/悪人がその悪ゆえに長らえることもある。/善人すぎるな、賢すぎるな/どうして滅びてよかろう。/悪事をすごすな、愚かすぎるな/どうして時も来ないのに死んでよかろう。」(コヘレトの言葉7:15-17)
 ──コテージのポーチに置いたロッキングチェアに体をあずけて、ぼんやりとエールを飲みながらクラッカーを食べていたら、丸テーブルの上のスマートフォンがブルブル震えて、メールの到着を知らせました。その相手というのは……。□

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