第3122日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第4話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 夏の選抜高校野球、第4試合が19時10分プレーボールとなった影響で第4話の放送は大幅にずれこみ、22時15分からとなったが、その間公式サイトのTwitterに首っ引きだった方も多くおられよう。わたくしもその1人であったが、もとより高校野球ファンでもあるので日程延期になるのでなければいいや、ずっと見ていよう、それがいちばん確実だ、とのんびり構えて白熱した試合の展開を見守っておりました。いや、実に良いゲームであった。
 それはさておき。
 ──第4話「街角ギャラクシー☆彡」は平安名すみれの加入回でした。キャラクターの掘りさげにはイマイチ尺が足りなかったように感じられましたが、Liella!メンバー屈指のネタキャラ、或る意味いちばんモブに近い存在と捉えれば、まぁ、この描かれ方にも(留保附きで)納得というものであります。
 なにがいいたいかといえば、彼女の描き方、動かし方1つで『ラブライブ!スーパースター!!』は傑作にもなり得るし、愚作にもなり得る危険を孕んでいる、ということ。突きつめていえば、花田氏よ、自重しつつシナリオを練れ、安易な考えで暴走する勿れ、常に全体を見渡しつつ細部を詰めよ、作品は己1人の所有に非ざるがゆえ。
 堅苦しいことをのっけから申しましたが、逆にいえば、これまでは窺い知れなかった、或いはアニメ外の媒体で語られてきたすみれの<影の生活>がアニメ内にも滲み出てきて、肉附けがされたことで、いままでは平面の存在にしか受け取れなかった平安名すみれという人物が、血を通わせ、肉を持った生身の人間として、視聴者の前に立ち現れてきた、と、そう感じたのであります。
 一体に平安名すみれとは何者か? 既に公式サイトやファン・ブック等で彼女が子供の頃、ショービジネス界に身を置いた子役であったことは、明らかでありました。
 その実態についてはこれまで杳として知れなかったわけですが、第4話で判明したところによると、子供向け番組を主舞台に活動しており、しかしそのキャリアたるや必ずしもパッ、としたものではなかったようです。
 他の子供たちが可愛らしいお姫さまのような衣装を着ているなか、唯一ダイオウグソクムシのコスプレで現れ、ディレクターの声に無理して笑顔を作り、また、これは学芸会の場面だったのでしょうか、15分40秒あたりですが、樹の役でいつか自分も……と舞台の上を元気に動き回る同級生を目で追ったり、動物の着ぐるみを着たなかのしんがりに位置した彼女の姿も映し出されていました。「いつも最後はどうでもいい脇役」というのが、当時を回顧したすみれの言。「私はさ、そういう星の下に生まれているの。どんなにがんばっても、真ん中で輝くことはできない」と言い残して、すみれはかのんの前から立ち去りました。
 そんなすみれの過去、すみれの発言を踏まえて冒頭から観返すと、スカウト待ちで毎日竹下通りをうろついた結果が「通行人のスカウト=エキストラで出てもらえませんか?」では、あまりに報われないというもの。もっと悲しいのは、この残酷な状況を心のどこかで許容できてしまっているすみれの諦念というべきでありましょう……。
 スクールアイドルについて無知であることが、今回はっきりしました。第1話の「サニパ?」という台詞や、第3話のフェス開幕を承けて「何事?」と訝しんだのも、スクールアイドルを知らなかったためであったのです。学校の階段(がっこうのかいだん、で変換するとやっぱり「怪談」って最初に変換されるんだな。good grief.)でかのんたちと恋の会話を盗み聞いたあと、スマホで「スクールアイドルとは?」と調べるところまではよかったのですが、ここですみれが抱いた邪念には最初、若干の嫌悪を刹那と雖も感じたものでした。
 が、すぐに考え直しました──自分が元いた世界へ復帰するためなら、利用できそうなものは使うよなぁ、と。かつて自分も同じことをしただけに考え直したあとは、すみれを見るわたくしの目は痛々しいものを見るという以上に、過去の自分の所業を苦い思いで見る目に変質した、と、この際なので告白しておきます。
 ですから一旦はクーカーの練習に参加したけれど、自分がセンターになれないとわかった時点でスクールアイドル活動を見切ろうとしたのは、当然の行動でありましたでしょう。もっとも、それが可可の逆鱗に触れたわけですが、そこからがかのんの独擅場。
 雨の日の放課後、かのんは信号待ちの交差点の向こうを歩くすみれを見かけた際、とっさにあとを追いかけた。すみれの向かう先は、当然竹下通り。スカウト待ちで同じ道を行ったり来たりしているのです。その様子を物陰に隠れながら見守るかのん。けっきょく声を掛けられることないまま実家の神社へ帰宅するのですが、途中足を停めて取り出したるスマホで見つめるは過去の栄光、Glory Daysでありました。
 スマホの写真と動画を背後からかのんに見られたすみれは、妖女ゴーゴンばりに髪を振り乱して相手を捕縛、境内の倉庫と思しき建物に隔離しました。怪しげな儀式に巻きこまれながらも、かのんは「どうしてそんなにセンターにこだわるのか、」と問いかけます。
 そうしてすみれは、かのん相手に自身のことを語り始める。15分32秒から16分24秒あたりでの、すみれとかのんの、境内での会話です。曰く、──
 すみれ:私ね、小さい頃からずっといろんなオーディション受けてたの。主役に憧れて。子役の頃から一生懸命がんばって。でも、どんなにがんばっても、いつも最後はどうでもいい脇役。
 かのん:それで、スクールアイドルのセンターに……。
 すみれ:まあね。アマチュアだし、なんとかなるんじゃないかって、思ったけど、やっぱり無理みたい。
 かのん:それはまだ、わからないと思うけど。
 すみれ:いいえ。今回のことでわかった。私はさ、そういう星の下に生まれているの。どんなにがんばっても、真ん中で輝くことはできない。二人にも伝えておいて。悪かったわね、って。
──と。
 わたくしは第4話の試聴と並行するように読んでいた藤沢周平の小説に、このときのすみれの心情を的確に表現するにぴったりな一節を見出したように思うのです。その一節とは、こういうものです。曰く、──
 「人生のはじまりあたりに、眼の前の風景のように澄明な部分があった。自分がそこにいたと信じられないほど、澄明な場所が」(「帰郷」 『又造の火』P101 文春文庫 1984/11)と。
 物心ついた頃には見ていたであろう、誰でもくぐれるとは限らない世界への扉を開け、たといその他大勢に部類されようともスポットライトのあたる場所に立ち、その空気に触れて呼吸していたならば、仮にその世界から遠ざけられようとも希求して止まなくなるというのは、或る意味で自然な成り行きであります。
 人はいちど味わった快感を忘れることは、できないのでありますから。
 ──それでも、すみれは潔かった。スクールアイドルでセンターになることイコール再びのスポットライトがあたる場所への帰還、の構図を崩されてそれがかなわぬ夢であることを知った瞬間、見切りをつけて元の生活へ戻ろうと決めた──むろん別の形でショービジネスの世界への復帰を果たすべく行動は続けるのでしょうが。まぁ、その台詞が可可の逆鱗に触れ、「お昼休み、屋上へ来やがれデス!!」と言わしめるのですけれどね。
 斯様なことありと雖もかのんは、すみれの心を知ってしまった以上、もう、あとに退くことはできなかった。かのんに自分の為すべきはなにかを自覚させ、背中を押したのは、「ご自分の、音楽科での授業やバイトやダンス・レッスンは大丈夫ですか?」と心配してしまう程いまやかのんたちのスクールアイドル活動にべったり付き添っている、千砂都でした。
 18分48秒〜19分18秒あたりの、かのんと千砂都の会話です。
 千砂都:どうするの、すみれちゃん?
 かのん:うん。気持ちはわかるんだよね。私も歌えなかったときは思ってたもん。そういう運命なんだって。続けても無駄だ、って。
 千砂都:でも、そうじゃなかったんでしょ?
 かのん:うん。
 千砂都:じゃあ、伝えないといけないんじゃない? [かのんのアップ、すみれの台詞が甦る:どんなにがんばっても真ん中で輝くことはできない] いま、いちばんすみれちゃんを理解してあげられるのは──
 ここで千砂都がいいかけたのは、「すみれをいちばん理解して、背中を押すことができるのは、同じ経験をして克服したかのんちゃんだけなんじゃないかな?」ということです。為、かのんは雨で人通りのまったくない竹下通りを今日もうろつくすみれをキャッチして、メンバーに勧誘するのでした。曰く、──
 かのん:平安名すみれさん、私、こういうものです。あなたを、スカウトしに来ました。私たちは、スクールアイドルを続けるために結果を出さなくてはいけません。ショービジネスの世界でのあなたの知識と技術で協力してほしいんです。
──と、相手の自尊心を損なうことなく、かつ確実に加入するであろう台詞を用意して。フィクションとはいえ、このあたりなかなか澁谷かのんもヤリ手であります。
 それでも抗うすみれに今度はかのん、こんなことを口にします。「すみれちゃんを見て私、思った。センターやってみよう、って。だから、奪いに来てよ。競い合えば、グループもきっと良くなると思うから」
 顧みれば高坂穂乃果は、みんながセンターでいいんじゃないかな、といってのけたことがありましたが、澁谷かのんも同じ考えですみれを誘ったのでした。傾向は異なりますが、というよりもあまり印象に残っていないのですが、高海千歌も同じような発言をしていたような覚えがあります……あとでBlu-rayを観直そう。ふと思うたのですが、現実の組織のでリーダーはともかくとして、スクールアイドルのリーダーとは、センターへのこだわりを強く持たない=そのポジションに執着なくフレキシブルな対応能力を持つことが、求められるのかもしれません。
 ──本話の事実上のエピローグとなった雨上がりの竹下通りに於けるかのんの台詞、雲合いから洩れて地上へ降り注ぐ陽光を、可可と千砂都を交えた4人で見あげてかのんが口にした台詞、「でも、まだわからないよ。諦めない限り、夢が待っているのは、まだずっと先かもしれないんだから」が自分たちばかりでなく、この世界でスクールアイドル活動を続けるすべての人々へのエールに聞こえてならぬのは、独りわたくしだけでしょうか。ここには、すべての希望が託されている、と思うのであります。
 とまれ、かのんは、自分たちのスクールアイドル活動へのスカウトという形ですみれをメンバーに加えることに成功した。もとよりダンスもすぐに習得するほどのスキルを持ち、歌に関しても同様となれば、勧誘は必至のことでありましょう。斯くしてかのんたちスクールアイドル同好会のメンバーは3人となった。ストーリーとしては特に駆け足とか端折りという印象を強く抱くことないまま、自然な形でまとまったのではないでしょうか。
 すみれのキャラクターからどうしても今回の加入回は、『ラブライブ!サンシャイン!!』のヨハネ加入回を連想させます。夙に指摘されているところではありますが、ヨハネこと津島善子とギャラクシーこと平安名すみれには幾つかの共通点と相反する点があります。彼女たちのキャラクター分析はなかなか興味深い事案でもありますので、ここは稿を別にして考えてみたく思います。
 余談ながら、すみれには一部、矢澤にこ先輩の要素も入っておりますね。気附かれた方も多くありましょうが、「ギャラクシー!」てふ奇天烈な決め台詞のとき、あるいは屋上での練習に参加した際のポージングで、すみれの両手はあの「にっこにっこにー!!」の所作になっているのを見たときは、なんでしょう、ちょっと涙腺がゆるみましたね。んんん、いっそのこと、にこ先輩はむりやり『ラブライブ!スーパースター!!』の世界へ乱入してきても許されるのではあるまいか……? いや、いっそのこと、にこりんぱなで……とまでなったら、もはや二次創作の世界か。
 それはさておき。
 お終いに、第4話を観て倩思うたことを箇条書きにして、〆括りたいと思います。
 ○葉月恋は、スクールアイドルになにか思うところがあるのだろうか。部室の鍵を渡した際、かのんに「スクールアイドルでなければ、幾らでも応援してあげられますから」てふ台詞は、極めて意味深である。また、音楽科の学生がかのんたちの噂をしているのを耳にした際の一瞬思い詰めたような表情は、屋上が練習場所として提供されたことに対するばかりではない、何事かの気持ちがあるように感じられるのです。いずれにせよ、恋の加入エピソードまでもう一山二山のドラマがありそう。すくなくとも、『ラブライブ!』に於ける絵里のようなまとまり方を見せるとは、いま時点では思えないのであります。
 ○これまで使われていなかった部室の前で、千砂都から「お化けとかいたりしてね」とからかわれたときのかのんの表情、鍵穴から室内の様子を窺おうとしたかのんの耳許で、「見ぃーたぁーなぁー」と囁いたときの千砂都の表情がとっても微笑ましいやり取りと感じる。幼馴染みである2人の子供時代を彷彿とさせるようで、なんとも鼻の下がゆるんで仕方ないのです。
 ○かのんからすみれがセンターにこだわった理由、スクールアイドルをアマチュア等々発言したことを聞いた可可が、教室に入ろうとしたすみれの前に立ち塞がる(16分53秒)。そのとき、「待つデス。お昼休みに屋上に来やがれ、デス!」と宣言する可可の表情、行動、言い方がとっても可愛い。「おくじょう」ではなく「おくじょ」って発音する点がまたツボなんだよね。というか、第4話に至ってようやく、これまであった既視感──可可って誰かを彷彿とさせるんだよな──の原因がわかりました。可可ってラキシス姫にキャラが被るんだね。
 ──以上とし、第4話感想の筆を擱きます。
 次回の第5話、「パッションアイランド」は恒例の合宿回、でしょうか。楽しみです。
 咨、それにしても期間限定上海風バーガーを食べたいなぁ(「『ラブライブ!スーパースター!!』結女放課後放送局 リエラジ!」第25回より)。苺バーガー、カフェオレバーガー、トマトバーガー、……。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。