第3157日目1/2 〈どこまで太宰は本気だったのだろう。〉 [日々の思い・独り言]

 太宰の人生は、破壊と安定と憧憬という、3つのキーワードでほぼ語り尽くせるのではないか。即ち、前半生を語る上で避けては通れぬ自殺未遂と心中未遂てふ<破壊>衝動、執筆と家庭が両立して充実した生を謳歌した<安定>の時期、若き頃よりあって徐々に太宰を蝕んで支配してゆく死への<憧憬>である。
 『文豪ナビ 太宰治』(新潮文庫 2004/12)巻末に載る「評伝 太宰治」(島内景二)に、こんな一節がある。曰く、──
 「心中が捨て身の『愛の形』となったのは、江戸時代の近松門左衛門あたりから。その近松が、高校生の頃の太宰の愛読書だった。読んだ本の影響を受けたのではなく、破壊願望をもてあます自分とぴったりの本と出会ったのだろう。そして、さびしがり屋で臆病な太宰は、自分と一緒に地獄へ堕ちてくれる(あるいは天国に昇ってくれる)相手を求めて、女性遍歴を始めた」(P120)
──と。
 2度の心中未遂と最後の情死について、どこまで太宰が本気で死のうと考え、相手の女性と携えて道行を思うていたか、定かではない。本気で死のうとしていたのか、正直なところ疑わしい。一時の熱に浮かされて、あるいは相手の熱にあてられて、そんな気になって起こした行動が、今日われらの知る心中未遂と情死でしかないのではないか。──そんな風に捉えるのがあんがいと事実に近いのではないか、とわたくしには思えてならぬのである。
 1度目の心中では相手の女性だけが死に、太宰は慚愧に駆られ、『晩年』所収の「道化の華」を書いた。2度目の心中では相手の女性(実は最初の妻)も自分も生き残り、その後二度と相見えることはなかった。後年になって太宰はそのときのことを、「姥捨」という短編で回顧している。
 そうして3度目の心中、今度は冥途への旅立ちとなった心中事件がやって来る。山崎富栄という魔性の女、人の精気を吸い尽くす女に狂わされ、遂には無理心中に付き合わされて、命を落とした。太宰版<仮面の告白>といえる『人間失格』はその所産である。
 わたくしは玉川上水での出来事は、太宰も予期せぬ結果を招いたものと考える。とはいえ、結果として太宰は逝ってしまった──青春時代のハシカと揶揄されつつもその実、大人になった方が良くわかる小説群を、生活に倦惰し、社会に疲弊した心に寄り添うような作品を遺して。
 上述したような心中未遂、情死のレッテルが付き纏ってどうしても、女性関係で翻弄されたイメージの強い太宰であるが、その間2度目の結婚で遂に家庭の安定を得、それに伴って心身ともに充実した中後期の傑作を次々と世に送り出していったことに、わずかな安堵を得られることは幸いといえよう。
 その太宰に面と向かって「嫌いです」といってのけたのは三島由紀夫であるが、中編「女神」に太宰情死に触れた一文がある。曰く、──
 「(客の話を)周伍はいいかげんにあしらって聞いていた。それから客は、つい数日前の太宰治の情死の話をした。
 『文士というのはだらしのないもんですな』
 と客は言った。『妻子がありながら、ほかの女と心中するなんて』
 『そりゃあよほどやりきれない妻子だったんだろうよ』と周伍が言った。
 『しかし、太宰は妻子も愛していたというんだから、あの気持ちはわかりませんな』
 『ほう、妻子も愛していたんですか』
 周伍は興味を顔に浮かべた。妻子を愛していても悲劇は起り得る、ということが彼の興味をひいたのだった。」(P30-31)
──と。
 「女神」は昭和29/1954年に発表された。太宰情死から6年後のことだ。
 太宰治の愛が向かう先にあったのが悲劇なのか、或いはもっと他のなにかであったのか、こればっかりはなんとも結論の出せそうにない。ただそこに、相手に傾ける情愛の深さ濃やかさが映し出されていることは確かであるけれども。◆


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