第3172日目 〈ヘミングウェイのスタイルに憧れて。〉 [日々の思い・独り言]

 どれだけ酔いがまわっていても、帰りの電車のなか、帰宅後の一刻に開いた本のなかに、まっすぐ突き刺さってくる文章があると、無性になにか書きたくてたまらなくなる。そんなとき、酔いは段々と冷めてゆき、その代わり、体の内側が、ボッボッ、と燃えあがってくるのを感じる。プロでもないのに執筆マシーンと化してキーボードを叩き、結末の見えぬ状態でとにもかくにも文章を紡いでゆく。
 (そんな風にして仕上げた第一稿が)意図した通りのものになっていることはまずないけれど、瞬発的に燃えあがった炎を消さずに形にするにはこれしか方策を思いつかないのだ。
 今夜も同じだった。緊急事態宣言があけて宵刻の街には生命力が戻ってきた。馴染みのクラブで1時間を過ごして、ぶじ帰宅。電車の遅れがあったけれど、気にしない。帰った頃にはすっかり酔いがまわっていて、このまま横になったらすぐ寝られる自信がある、なんて思うていたら、思い出したことがある。
 本屋さんで逡巡した後に財布の中身と相談してレジへ運んだ、2冊の雑誌、1冊の文庫が、まだリュックにしまいっぱなしだった。寝るにしても、それを取り出してからにしましょう……けっきょく、それが眠気を吹き飛ばし、こうしてパソコンに向かわせる仕儀と相成ったわけだが。
 NHKの番組「100分de名著」の10月テキストと『BRUTUS』最新号。書店の店頭で目にして以来欲しくてたまらなかったが、一度はいずれも購入を見送った雑誌だ。しかし今日はどうしても我慢ならず、買ってしまった。前者が『ヘミングウェイ・スペシャル』、後者が<村上春樹特集 上>となれば、致し方ない。
 『BRUTUS』は明日からの連休でゆっくり読むとして、いまは『100分de名著 ヘミングウェイ・スペシャル』だ。数本やり過ごしてその駅発の始発電車をわざと待ったのは、『ヘミングウェイ・スペシャル』読みたさゆえである。
 かつてわたくしは、ヘミングウェイに相当傾倒したことがある。創作の時代も終わりに近づいていた2000年代、古本屋で偶然、高見浩の訳した短編集2冊を購うた。翻訳はヘミングウェイの余計なものを削ぎ落とした文章スタイルを壊さない、シンプルで奥深い、実に読みやすく練られた日本語の文章だった。
 この文章と解説にすっかり惚れて、わたくしは1冊読み終わるごとにヘミングウェイの文庫を新しく買いこみ、一読者として、創作者として、一編一編が至宝としか言い様がない作品群を読み進めていった。どうやったらこんな小説が書けるんだろう? 自分なりの分析と模倣の末に書きあげたのが「エンプティ・スカイ」という、かつて本ブログで連載した『ザ・ライジング』の後日譚となる短編である。
 『100分de名著 ヘミングウェイ・スペシャル』を読んでいるうち、高校を卒業したヘミングウェイが新聞社で働くようになった際教えられて、生涯にわたり範とした文章の極意が掲載されていた。曰く、──
 「文は短く。最初の段落は短く。気持ちの入った言葉を使え。自信を持って書け。逃げ腰になるな。」
 「ムダな言葉は全部削れ」
──と。いずれも都甲幸治・訳。P15。テキストP99-100には有名な「氷山の一角」理論も紹介されています。都甲幸治の曰く、──
 「作家自身がわかっていることであれば、そこ(たとえば登場人物にトラウマ体験があるなど)をごっそり省略しても、ほかの部分でそれは必ず滲み出てくるので、読者にはわかる。そういった、テクスト上のある種の余白や無意識空間のようなものをあえてつくっておかないと、奥行きと凄みのある作品にはならない、というのがヘミングウェイの考えでした」(P100-101)
──と。
 小説を書くとき、エッセイを書くとき、ヘミングウェイのスタイルをどうしても意識してしまう。お喋り過多な文章ばかりお披露目しているので、こう告白すると「えっ!?」と疑われることにはもう馴れた。でも、文章を書く者にヘミングウェイのスタイルはたいていどこかで影響を及ぼしているのではないか。ヘミングウェイから直接、というのではなくても、それに影響を受け、そのスタイルを自家薬籠とした作家の文章──たとえばハメットやチャンドラー、カーヴァーなど──から。
 斯く申すわたくしだって、そうした物書きの1人だ。基本的にわたくしの文章にいちばんの影響を与えたのは、スティーヴン・キングの(翻訳の)文体である。これが根本にあって、拭えぬ程に自身のなかへ染みこんでいる、と承知している。そうであってもキングを意識した文章では書くことのできない、表現できないものもある。そうしたときヘミングウェイを意識した、短く、語彙を徹底的に絞った、喋りを控えた文章で書いてみると、ふしぎに筆がはかどり、思いもよらぬ効果を持った作物にしあがったことは、実は2度や3度ではない。もっとも、そんなのはとっても稀なことなのだけれど。
 書架の奥にしまいこんだ高見訳ヘミングウェイと、久しぶりの対面を果たしたくなった。現時点での最新訳は、『老人と海』(新潮文庫 2020/07)。短編集は手に取ると、何箇所かのページが自然と開く。よし、読もう。酔いは消えてしまった。◆


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