第3186日目 〈なんでこんなに本があるんやろ?〉 [日々の思い・独り言]

 横浜橋商店街で何ヶ月ぶりかの買い物を楽しんだ帰り、阪東橋の駅から乗った地下鉄で隣に坐った奥方様のお腹を見て、もうすぐ生まれるんだな、とマスクの下で思わず鼻の下を伸ばしてしまった。そうして、けっこうな力でお尻をひっぱたかれた気分になった。思い出したのである、喫緊で対処しなければならないにもかかわらず、本腰を入れて対処するのを先延ばしにしていた案件があることを。即ち、──
 書庫にあてる部屋を見附けることままならず、部屋には流石に本が入りきらなくなってきた。半年ぐらい後には完全にパンクするであろう予測の下、目下すこしずつではありますが床上ならびに書架の本を選別して、まずは処分本をひとまとめにしている。そこから更に、古書店行きと新古書店行き、そうして資源ゴミ行きとに分別するのだが、いやぁ、これがまた骨の折れる作業であります。
 わたくしがいいたいことはただ1つ、──本が一向に減りません。
 空間ができた、ラッキー、なんて喜んでふと目をそらして戻すと、そこにはなぜか文庫の山が出現していたりする。悪質なホラー映画のなかに迷いこんだ気分です(ミステリー・ゾーンならまだしも……ってあちらの方が余程タチが悪いか)。
 いや、ホント、視界の外で此奴ら、ばんばん増殖しているんじゃないか、と疑う程に同じ所から本が、あとからあとから湧いて出る。キリがない。こん畜生め、そう罵りたくなる。が、これは自業自得というもの、いまの家を建て直して以来引越の経験なき者が本を溜めこむとこうなります、その格好のサンプルがわたくし。
 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」……信長が桶狭間の合戦に赴く間際、家臣たちの前で謡ってみせた「敦盛」の一節を口のなかで誦しながら作業をしているのは、あとどれだけの量を、数を読めるかな、と考えたとき俄にそれに限りがある、てふ事実に思い至って暗然、併せて時間は有限であると当たり前な事実を今更のように突きつけられたとき、その儚さから飛び火してのことである。
 情けない話だが年齢を重ねて真の意味で思い知らされる;時間が有限であるというのはすべての人間に等しく割り当てられた不動不変の事実であることを。ゆえに時間の流れは残酷である、と。これ程情け容赦なく万物を押し流して前にしか進まない、が、これ以上にすべてに於いて平等なものがこの宇宙にあり得ようはずがない。
 本当にこれからも読み返す本、読む本、大切に持っておきたい本、だけを残し、それ以外は潔く片っ端から廃棄するだけの思い切りの良さが、わたくしは欲しい。そんなことを8畳間に押しこめられた約5,000〜6,000冊の本の山と壁を、背中を丸めて頬杖ついて、間断なく去来する物想いと戦いながら眺めて、そんな風に思う。……なんでこんなに本があるんやろ?◆

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