第3207日目 〈藤沢周平『無用の隠密』読了、しかし感想文はまだ書けない。〉 [日々の思い・独り言]

 ようやく読み終えました、藤沢周平の『無用の隠密 未刊行初期短編』(文春文庫 2009/09)。読まない日が圧倒的に多かったせいもあり、予想外に時間が掛かってしまった……。
 本書は書名に明らかなように、藤沢周平が「溟い海」でオール讀物新人賞でデビューする以前、中間小説誌へ発表してそれきりだった作品を集めた1冊です。単行本で出た(文藝春秋社 2006/11)後、新たに発見された「浮世絵師」を収めた、いわば文庫版は完全版となる。阿部達二による単行本時の解説に加えて、文庫用に書き下ろされた解説も収められた。
 本来ならここで感想文となるはずが今回それを実現できないのは、今年になってから始めた抜き書きノートを執ろうとした途端、各作品の内容を思い出せないものが多かったことで一旦執ったノートの筆をすぐに擱かざるを得なかったためであります。いちばん古い作品で、割に好みな「暗闘風の陣」さえ、印象が薄れ、記憶も曖昧になっているとなれば、仕方ないとはいえ、ねぇ。愕然としてしまった。
 太宰治は「正義と微笑」のなかで書いている。最近ではTwitterかなにか、SNSの投稿で一躍有名になった一節だ。曰く、「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ」と。新潮文庫『パンドラの匣』P18、1973/10→1989/12改版。
 読書にも同じことがいえよう。とはいえ、……「一つかみの砂金」すら残っていないとなれば、これはもう「やんぬるかな」と呟くより他はない。が、抜き書きノートは作成しておきたい。どうすればよいか?
 答えはただ1つ。最初から読み返すこと、間断なく読み進めること。1作1作を読み終えるごとに感想と(あれば)抜き書きをノートに綴ってゆくこと。これ以外には、性格愚直で正攻法しか知らないわたくしには、考えつかないのであります。その分時間は余計に掛かり、今後の読書予定はどんどん後ろ倒しになってリスケ不可になるけれど、まあ仕方ないですね。
 そんな次第で、『無用の隠密』のきちんとした感想は改めて、こちらでお披露目させていただきます。読者諸兄にはどうぞ、ご寛恕願いたく存じます。
 しかし、それで済ませるのも何ですので幾つか、気が付いたことを申しあげておけば、未刊行初期短編はいえ、けっして等閑視すべき1冊ではない、ということでしょうか。「溟い海」以後の藤沢作品に較べれば見劣りするところ、不備な箇所等々ありと雖も、面白さという点ではけっして引けを取るものではない。
 駄作と烙印を押されるような作品を出さなかったことで知られる藤沢周平ですが、それはこうした初期短編でも事情は変わらないことを実感しました。『暗殺の年輪』から意識して、可能な限り発表年次順に読んだあとで今度は『暗殺の年輪』以前の作品を読む流れを作りましたが、読み応え、面白さ、読後の印象など、デビュー以後の諸作のなかに混ぜても遜色ないものが、ここには並んでいました。
 やや筆が性急だったり、も少し膨らみがあっても良いのじゃないかな、と思うてしまう作品、その箇所もないではないけれど、巻を閉じてつらつら諸作を思い起こせばそうした小さな、致命傷になり得ぬわずかな瑕疵を埋めてなお利点を備えている作品を並べた1冊である。これが現時点に於けるわたくしの所感であります。これは再読を終えたあとも、変わらないと思います。◆

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