第3217日目 〈藤沢周平『一茶』を読み始めました。〉 [日々の思い・独り言]

 FPの参考書をふたたび引っ張り出してきて、合格した当時と現在の法改正に基づく変更箇所を調べていたらあり過ぎて、ショックラージ(※)、意気消沈真っ只中のみくらさんさんかです。いや、参りました。光陰矢の如し、歳月人を待たず、とは、このようなときに慨嘆して口へ上す諺なのでしょうか。
 あまりにショックラージなんで、さっさとその作業は棚にあげ、新しい参考書買って勉強しよう、と思いを新たにした後、取りかかったのは藤沢周平『一茶』(文春文庫 2009/04新装版第1刷)でありました。旧版を読んだときのことなんて疾うに忘れているから、これが事実上の初読となる……いま、弥太郎(後の一茶)が三笠付けの点取と話している場面を読んでいるが、うん、まったく覚えていない。
 顧みずともこれまで小林一茶の文業に、芭蕉や蕪村、鬼貫と同じような意味合いで触れたことは、なかったように思います。要するに手に入る範囲での作品を一通り読み、これまた手に入る範囲での文献に一渡り目を通す、ということは一茶に関しては斯様な作業、した覚えがない。
 記憶が正しければ学生時代、近世文学の講義或いはゼミでも一茶には触れずに過ごしてきたようだ。 先生の専門が芭蕉で、一茶は然程好いていなかった覚えも、ある。講義のノートを探せば判明しようけれど、すぐには出してこれそうにない。どうあれ、一茶には縁ないまま過ごしてきたのは事実。藤沢周平の小説を手にしたのは、欠落した部分の穴埋めを自ら行おうと考えてのことだったのか。
 架蔵する一茶の句集と金子兜太の新書を発掘してきたのは既に書いた通りですが、藤沢周平のこの小説を読みながらそれらへ目を通すなどして、ほぼ完全に欠落している一茶についての諸々をこの機会に知りたいと思います。
 これからしばらくの間、FP3級の再勉強──テキスト再読(資格取得して3年以上経っていれば、さすがに変わる部分は多いよね)と昨日のカルヴァン神学の本、いっしょに借りてきた宗教改革史の本と並行して一茶となると、さて、これはとっても忙しくなるぞ。でも、うまい具合にジャンルが分散したものだな。まぁ、頑張りすぎない程度に頑張ります。
 ああ……そうか、一茶も先日の井月と同じで信濃の人だったのですよね。◆

※勤労学生時代、共に大学生協でアルバイトしていた男子がクルディスタンへ旅行したことがある。一時期、メルマガ配信されていたクルディスタン紀行に、かれを見舞った衝撃的な出来事が描かれていた。その場面に遭遇したかれが思わず口走った名言が、この、「ショックラージ」です。誤慣用というが、事態を表現してこれ以上のものもないので、それ以来折に触れて使わせていただいている。使用料? なんですか、それ?□

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