第3243日目1/2 〈マカバイ記 一・第9章:〈バキデス、アルキモスとの戦い、ユダの死〉、〈ヨナタンが指導者となる〉他with S.K原作『チェペルウェイト』放送開始。〉 [マカバイ記・一(再々)]

 マカバイ記・一第9章です。

 一マカ9:1-22〈バキデス、アルキモスとの戦い、ユダの死〉
 時間をほんのちょっとだけ巻き戻そう。戦の序盤でニカノルが戦死したあたりまで。
 デメトリオス1世は将軍バキデスと大祭司アルキモスに軍を与えて再度、ユダヤへ出撃させた。途中シリア軍は小規模の戦闘を繰り返しながら、南に──エルサレムへ進んだ。
 セレコウス紀152年即ち前161年の第一の月つまりニサンの月である。
 シリア軍はエルサレムに向かって陣を敷いた。更にそこから20,000の軍勢と2,000の騎兵が出て、エルサレム北約15キロの町ベレトへ進んだ。
 そのベラトのほぼ真西約5キロの町エラサには、エルサレムを発ったユダが陣を敷いていた。敵の大軍を目撃したユダヤ兵は怯えて怖じ気づき、離反していった。ユダ・マカバイの許に残った兵は僅か800を数うのみである。
 戦局、大いに不利なり。
 狼狽しつつもユダは己を鼓舞するかのように、残った兵に檄を飛ばした。曰く、──
 「断じて、敵に後ろを見せてはならない。死ぬべき時が来たなら、同胞のために潔く死のうではないか。我々の栄光に汚点を残すようなことはしたくない。」(一マカ9:10)
 斯くしてシリア軍とユダヤ軍の戦闘が始まった。「大地は両陣営のどよめきに震え、朝から夕方まで激しい戦いが続いた」(一マカ9:13)のである。
 熾烈な戦いが繰り広げられた。まさに一進一退の戦闘であった。双方に多数の戦死者が出た。ユダ・マカバイがその戦闘の最中に倒れた。背後に回りこんだシリア軍に討たれたのである。
 やがて戦闘は終わった。
 ヨナタンとシモンはユダの遺体を故郷、モデインの先祖の墓へ埋葬した。数多のイスラエルの民が、シリアの圧政と暴虐に果敢に立ち向かい、信仰篤きユダヤ人を導いたかれ、ユダ・マカバイの死を嘆き、悔やんだ。「マカバイ記 一」はこう記す。曰く、──
 「ユダの行ったさまざまの業績、彼の戦い、その大胆さ、その偉大さは、書き尽くすことができない。あまりにも多すぎるのである。」(一マカ9:22)
──と。

 一マカ9:23–31〈ヨナタンが指導者となる〉
 ユダ・マカバイの死後、新たに指導者の任に就いたのは、兄弟ヨナタンである。そこへ至るまで、このようなことがあった、──
 当時イスラエルの全土には、律法に従わない不敬虔なユダヤ人が頻出、不正と暴力が横行した。タイミングの悪いことにこの頃、イスラエルを飢饉が襲った。これが却って律法離れを加速させ、シリア側に付くユダヤ人が続出したのである。
 バキデスは寝返ってきた不敬虔なユダヤ人から選抜して、この国の支配者に仕立てた。偽りの支配者となったかれらは全地を回った。マカバイ家に与する者を探し出して、バキデスの前に連れ出すためである。バキデスは引き出された連衆を嘲笑して<復讐>した。
 「大きな苦しみがイスラエルに起こった。それは預言者が彼らに現れなくなって以来、起こったことのないような苦しみであった。」(一マカ9:27)
 シリアに抗う敬虔なるユダヤ人は集まって、どうしたものか、と膝つき合わせて相談した。そうしてヨナタンの許へ行き、ユダ・マカバイに代わってあなたに指導者になってほしい、と頼んだ。斯くしてヨナタンが新たな指導者として立つことになったのである。

 一マカ9:32-53〈バキデスとの再度の戦闘〉
 ヨナタンが新たな指導者になったことを知ったバキデスは、再度の対ユダヤ攻撃を発令した。
 ユダヤ軍はテコアの荒れ野に後退すると、アスファルの貯水池の傍らへ新たに陣を置いた。ヨナタンは兄弟ヨセフを呼んで。携行品を友人であるナバタイ人に預かってもらうよう依頼させた。
 そのヨハネを不幸が襲った。ヨルダン川の東にあるメデバ出身のヤンブリがヨハネを殺め、預かり品を奪っていったのである。これを知った兄弟は復讐のため、ヤンブリの婚姻の宴を急襲した。多くの者が倒れ、残りはどこかへ逃げた。「こうして婚宴は悲しみに一変し、歌声は挽歌となった。このようにして兄弟の血に対する復讐が成し遂げられたのである。」(一マカ9:41-42)
 ヨナタンたちは改めて対シリア戦に備えた。ヨルダンの沼地へ戻ると背後にヨルダン川の流れを臨み、沼地と林で囲まれた場所に陣を構えた。つまり、易々とは退却のできない場所である。
 戦いが始まった。ヨナタンがバキデスを討とうと出ると、バキデスは退いた。ユダヤ軍はヨルダン川を渡ってバキデス軍から離れた。バキデス軍は敢えて渡河してまでこれを追うことはしなかった。
 バキデスはエルサレムに戻ると、エリコの砦やアマウス、ベト・ホロンなどユダヤの町々の防備を固めた。城壁を高く築き、たやすく門を打ち破られぬよう閂を強化したり、といった具合である。また、対ユダヤのためにそれらの町々へ守備隊を置いた。ベトツルやゲゼルの町のみならずエルサレムの要塞をも固め、部隊を配置し、食料も蓄えた。
 それだけではない。この国の指導者たちの息子を捕らえてエルサレムの要塞に監禁したのである。何事かあらばこの者たちに危害を及ぼす、という意思表示でもあったろう。

 一マカ9:54-57〈アルキモスの死〉
 セレコウス紀153年即ち前160年。驕ったアルキモスは聖所の中庭にある仕切り壁を撤去し、預言者たちが造りあげたものの破壊を始めた。
 このときアルキモスは発作に襲われ、全身が麻痺した。なにかをいい残すことも、指示することもできないまま、アルキモスは死んだ。悪行に足枷を嵌められたアルキモスは、このようにして死んだ。
 バキデスはアルキモスが死んだのを見ると、アンティオキアのデメトリオス王の所へ帰還した。
 それから2年の間、ユダヤの地は平穏であった。

 一マカ9:58-73〈平和の回復〉
 律法に従わない者、不敬虔なユダヤ人が或るとき集会を持った。
 んーと、ヨナタンたちはすっかり安心して暮らしているよね? 今一度、バキデスさんを連れ出してきたら、連中を一網打尽にして打ち滅ぼしてくれるんじゃないかな? んだな。んだ、んだ。
 そこでかれらはてくてく出掛けて行き、バキデスに三度(みたび)、ユダヤへの出陣を請うた。バキデスは諾い、戦略を練った。
 秘かに出陣したバキデスはユダヤ全土に散らばる同盟軍に書簡を送り、ヨナタンとその部下たちを捕らえるよう命じた。が、どこからかその計画は洩れ、企ては失敗した。逆にヨナタンたちによって首謀者の何割かが捕らえられて処刑されたのである。
 来たる戦いに備えてヨナタンは、破壊されたままだったベトバシの要塞を再建した。バキデスはユダヤ人の同盟軍にこれの攻撃を命じた。戦いは数日にわたった。ヨナタンはベトバシ防衛をシモンに任せると少数の兵を連れて要塞を出、シリアへ寝返ったユダヤ人の同胞を殺害した。
 一方シモンは要塞から打って出て、バキデス軍に大きな損害を与えた。「策略も攻略も水泡に帰して、完全に挫折してしまった。バキデスは、自分を唆してここに出撃させたあの律法に従わない者どもに対して激怒し、その多くを殺し、自分の国へ帰ろうと決意した。」(一マカ9:68-69)
 これはヨナタンにとって好機であった。このタイミングを逃せば2度とこのような機会は訪れまい。つまり、──
 ヨナタンはバキデスに使者を送った。和平の締結と捕虜の返還の申し出である。バキデスはこれを受け入れ、実行した。自分が生きている間はユダヤを攻撃しない、ヨナタンに危害を加えない、と誓ってもくれた。
 「バキデスは、彼がユダの地で以前に捕らえた者たちをヨナタンに返して自分の国へと引き揚げ、もはやユダヤ人の領域に侵入しようとはしなかった。 
 イスラエルでは剣はさやに納まり、ヨナタンはミクマスに住んだ。こうして彼による民の統治が始まり、不敬虔な者たちはイスラエルから一掃された。」(一マカ9:72-73)

 〈バキデスとの再度の戦闘〉を読んでいて改めてわからなくなったのですが、このとき、エルサレムにはマカバイ家に味方するユダヤ軍がいたのでしょうか、それともシリア軍だったのでしょうか。かつて第4章に於いてユダ・マカバイは聖所を奪還して清めの儀式を行った(神殿再奉献)。ここに軸足を置くなら、〈バキデスとの再度の戦闘〉の時点で跡を継いだヨナタンはエルサレムにいると考えるのが当然であります。が、シリア軍もエルサレムを出たり入ったりしている……これは果たして?
 そこで考えねばならぬのが<要塞>の存在であります。「一マカ」ではシリアもユダヤもそれぞれエルサレム内に要塞を築いたり修復したり、或いはユダヤはシリア兵が立てこもる要塞と居住区の間に高い壁を築いたりしている。そもシリア軍のいるエルサレムにどうしてユダヤ軍がのこのこと出入りする?
 ……と、この二段落がこの感想文(らしきもの)を書く出発点でした。
 しかし、疑問はあっさり氷解した。まとめると一段落で、数行で片附いてしまう。つまり、──
 ユダヤ軍は聖所を清めすることさえ出来たものの、エルサレムの完全奪還には至っていなかった。ゆえにエルサレムにいるのはシリア軍である。シリア軍は旧都奪還を目指すユダヤ軍──反乱軍を一歩も入れまいとエルサレム周辺の防備を殊更頑強にし、壁を築き、要塞を強化し、シリア軍を駐留させ、離反ユダヤ人を囲ってこの都を守らせていたのだった。
 大げさかもしれないが、証明終了であります。書架にあったバリー・J・バイツェル著/山崎正浩他・訳『聖書大百科 【普及版】』(船木弘毅・日本語版監修 創元社 2013/10)の「マカバイ戦争と独立」P244を読んでいたら、たちまち解決ですよ。やれやれ。  では気を取り直して、──  同じ〈バキデスとの再度の戦闘〉でヨナタンの兄弟、ヨハネがメデバ出身のヤンブリに襲撃されて殺される。ヤンブリはメディア出身のならず者、悪党、としかわかりませんが、ヨハネが携行品を預けるはずだったナバタイ人については、上記『聖書大百科 【普及版】』に簡単な説明があった。お茶濁しになりますが、引用しておきますと、──  「ナバタイ人はシリアの一部、ヨルダン川とアラビア砂漠の間のステップ、ネゲブ、シナイ半島からエジプトにかけて住んでいた民である。……ナバタイ人の王は、ハスモン朝と様々な関わりがあった。アレタ1世(在位紀元前170~紀元前160年)はセレコウス朝を敵に回してユダとヨナタンを援助した」(P246)という。また、『旧約聖書続編 スタディ版 新共同訳』(日本聖書協会 2017/11)当該箇所の註釈はナバタイ人が援助した背景について、「(或る資料でナバタイ人は)紅海でプトレマイオス王国からの船を攻撃することで自分たちの商業貿易を繁栄させていた。従って彼らが、この地域で他のギリシア勢力、すなわちセレコウス朝に敵対しているマカバイを支持したことは、驚くに当たらない」(P127)と述べる。  ローマ登場以前にユダヤが好意を抱いていた数少ない異邦人として、ナバタイ人は記憶に値する存在といえましょう。相応の信頼関係がなければ、貴重品を預けようとはしませんよね。それにナバタイ人は一マカ5:25で敵の情報をもたらしてくれた、協力者でもありました。  わたくしが「一マカ」を読んでいていちばん、ではないけれど、この目に魅力的と映る1人がシリアの将軍バキデスであります。かれは「一マカ」に登場するシリア軍人のなかで、<武人>と称するに唯一相応しい人物です。また、聖書全巻を通して登場した武将のなかでトップ・クラスの策謀家とわたくしは感じました。  それをひしひしと感じたのは、アルキモス戦死を承けてのバキデスの行動であります。デメトリオス1世からユダヤ討伐の命令を受けたとき、アルキモスもいっしょに連れてゆくように、というお達しがあったからこそかれは、このニワカ大祭司を連れてアンティオキアを出発した。おそらくバキデス自身はユダヤ討伐についてはともかく、アルキモスと組んで行動することには乗り気でなかったのではないか。  第7章で初めてコンビを組んで以来、ユダヤへ行く度毎に終始行動を共にしていたわけではないことは、一マカ7:20からじゅうぶん推測できることであります。実際の戦闘行為はシリア軍が担当し、エルサレムを含めたユダヤ地域、ユダヤ人への実際の干渉はアルキモスが行う、というように役割分担がされていたせいもあるのでしょう。  バキデスにとってアルキモスは、ユダヤ軍に与するユダヤ人との折衝や交渉を行う外交官、総してユダヤ地域にいる間の身の安全を担保する材料であった、と考えられます。  そうした己の手足になっていたユダヤ人が死ぬと、さっさと王都アンティオキアに還っていった。アルキモスの死因に恐れを抱いたのではなく、エルサレム周辺の防備も固めたことだし、正直なところ、こんな<文化果つる不毛の地>からはさっさと引き揚げたかった、というのが案外と本音かもしれません。  それはともかくとして、アルキモス落命の場面はバキデスの冷徹さの一端が表れた場面であるように思います。そこには冷静な計算と事の成り行きを見通す能力を備えた人物としての判断があった──。これを実像とするなら、<武人>としてもさることながらこのバキデス、なかなかの策謀家ではないでしょうか? そうしてなんというても和平交渉に乗り出すタイミングが絶妙である。いたずらに戦力を消耗する前に区切りを付けることの難しさ、をバキデスはよく心得ていたように感じられてなりません。  もっとも、3度目のユダヤ出陣に腰をあげて来てみたら一マカ9:58-60に見る如く、不敬虔なユダヤ人に唆され、ユダヤ人の愚鈍から襲撃計画が洩れ、その上ユダヤ人に攻撃を命じても戦果はまったく出なかった。その忸怩たる思いは如何程であろう。このときのバキデス、かなりご立腹だったと思います。かれをアンティオキアから連れて来た不敬虔なユダヤ人でこの戦闘に生き残った者は、どんな思いでバキデスの前に出、弁明し、助命を懇願し、そうして死んでいったのでしょう。まぁ、唆されたバキデスもバキデスなのですが……。  斯様に細かな点を取りあげれば、「どんな立派な人にも過失はあるよね」となる。とはいえ総合的な観点から判断した際、バキデスという軍人、かなり有能で、下からの信頼篤く上からの覚えもめでたく、また敵からも讃えられるような人物ではなかったろうか。こんな人物、聖書全体を見渡してもなかなかいないですよ。すくなくともわたくしのなかではユダ・マカバイよりも評価は抜群に高い。  もっと外国語を勉強してあちらの文献を拾い読みできるぐらいにまでなり、さまざまに資料が集まってきたら、バキデス小伝、シリア軍人バキデスの魅力、のようなエッセイを草してみたい気持ちになっております。  スターチャンネルで今月から『チェペルウェイト 呪われた系譜』全10話が放送開始、原作はS.キングの初期短編「呪われた村 <ジェルサレムズロット>」。実は高校生のとき、これを脚色して文化祭での上演を目論みましたが顧問の頑強にして自己中な反対で却下。先日、ダンボール箱のなかから当時の原稿が出てきました。  そんな話ではなく、『チャペルウェイト』のこと。現代の視聴者に沿うようにかキャラクター設定に若干の変更があるようですが、それは問題としない。  懸念しているのは、1シーズンで完結するんですか? ということ。オリジナルでもなければ長編の映像化でもありませんから、シーズン2なんてあり得ないだろうが、その気になれば引き伸ばしなんて幾らでも出来るからなぁ。  既にキング原作ドラマは2本、立て続けにシーズン1、もしくは2で打ち切りになっている。『アウトサイダー』と『キャッスルロック』である。ここから引き出される教訓は、無闇に次シーズンにつながるような趣向は凝らさぬこと、でしょう。  とはいえ、新しいキング原作ドラマが観られるのは、一ファンとして純粋に嬉しいニュースであります。楽しみに待ちましょう。  ……そういえば『ラヴクラフト・カントリー』もシーズン1で打ち切りなんですね。わたくしの好きなドラマはどうしてどんどん、打ち切られてゆくのでしょう。顧みればそれは、『フラッシュフォワード』から始まった……。◆

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