第3242日目 〈マカバイ記 一・第8章:〈ローマ人についての報告〉&〈ローマとの同盟〉with10数年振りにお迎えする全11巻の歴史書。〉 [マカバイ記・一(再々)]

 マカバイ記・一第8章です。

 一マカ8:1-16〈ローマ人についての報告〉
 西の海の向こうに、ローマという大国が興り、周辺国を配下に置いている。ユダにローマのことを報告してきた者は、そういった。報告者の曰く、──
 ローマは、ローマと連合するものはすべて歓迎し、ローマと友好を結ぼうとする者みなと友好を結ぶ。しかし、敵対する者には勇猛さを発揮してこれと戦い、毎年貢を課している。そうやって支配下に置いた遠隔地の運営は、策略と忍耐とを以て抑圧している。
──と。
 それから報告者たちはユダに、セレコウス朝の王たちがローマと戦ってどのような目に遭ったかも、併せて伝えた。曰く、──
 大王アンティオコス3世は120頭の象をはじめとする大軍を以てこれと戦うも無残な敗北の憂き目に遭った、アンティノゴス朝マケドニアの王フィリポス5世とその子ペルセウスをやはり強大な軍隊で打ち砕き、かの地を征服した。
 「(共和政ローマに敗北を喫した)ギリシア人たちは今日に至るまでローマ人に隷属している。ローマ人に反抗した他の王国や島々も、すべて粉砕され、彼らに隷属している。」(一マカ8:11)
 ローマは同盟国や友好国、自分たちに庇護を求める国とは非常に良好な関係を保つが、それらの国の国主は皆ローマの恐ろしさをも知るため、ローマの名を聞くと竦みあがり、震えあがることもあった。ローマが後ろ盾する者は王となり、ローマが退けたい者は失脚した。斯様にしてローマは周辺世界を配下に置いて属領とし、円滑に運営したのである。
 ローマの政治体制はというと、かれらは320人の議員を擁す元老院を設置していた。議員たちは「民衆に秩序ある生き方をさせようと、日々検討を続けている。彼らは、自分たちを統治し、自分たちの全土を支配する人を年ごとに一人信任する。そしてすべての者が、この一人の者に服従する。そこにはねたみもなければ、うらやみもない。」(一マカ8:15−16)
──と。

 一マカ8:17–32〈ローマとの同盟〉
 報告を聞いてユダは、ローマと同盟を結ぶことの利を悟り、ハコツ家のエウポレモスとエレアザルの子ヤソンをローマへ派遣した。そうすることで、自分たちの軛を取り除くことができる、と考えたからである。
 ヤソンとエウポレモスは、遠い道程の末にローマヘ到着した。かれらを待っていたのは、元老院である。元老院の議員たちが遠国からやって来た2人のユダヤ人に質問した。何の用ぞや、と。ヤソンたちは答えて曰く、あなた方と同盟平和関係を結び、あなた方と友好を結ぶ国の1つにわれらも加えていただきたいのです、と。
 ローマにとってユダヤの申し出は願ってもないものだった。というのも、セレコウス朝の存在を好く思うていなかったからだ。
 元老院はさっそく、ユダへ親書を遣わした。これはローマとユダヤの平和同盟関係の覚書でもある。それに曰く、──
 ローマに対し、或いは同盟国に対して攻撃が加えられた場合、ユダヤ民族はローマと共同して事態に即応するように。敵国には如何なる物資、資金の提供を行わない。守るべきものを守り、討つべきを討つ。自国の利益のみを図ったりはしない。守るべきことを守り、これを、偽りなく実行する。
 「ローマ人はユダヤの国民とこのような条約を結ぶ。この条約の発効後、もし双方に、追加あるいは、削除すべきことが生じた場合、双方の了解があれば、その追加や削除は有効なものとして認められる。」(一マカ8:29−30)
 既にシリアのデメトリオスには通達してある。その内容は、われらが同盟国にして友好国、ユダヤに対してこれ以上の軛を負わせるようなら、ユダヤの友がなお嘆願するようなことがあれば、ローマはシリアのデメトリオス王に対して海からも陸からも攻撃をさせていただく。
──と。

 いよいよ西の列強、ローマが登場した。ユダヤのこれまでの活動がオリエントの一地方に留まっていたことを考えると、ローマとの同盟締結がユダヤをして地中海世界へ目を向けさせるきっかけになった、と申しあげてよいでしょう。
 ユダヤとローマの同盟は前162年以後間もなくと考えて良さそう。デメトリオス1世の即位がその年だったからであります。
 これをローマの側から見れば、前168年に終結した第3次マケドニア戦争によりアンティゴノス朝マケドニア滅亡、マケドニア最後の王ペルセウスの故アンドリスコス(ピリップス)が宣戦布告して第4次マケドニア戦争に突入する前150年(或いは前149年)までに同盟と友好を結んだ、ということになります。
 地方から中央へ。これによって地中海世界はユダヤという民族集団の存在、或いはその特異な一神教を知ることになりました。もっともそれゆえにユダヤは後々ローマからの干渉を受け、ハスモン朝滅亡後は共和制帝政ローマ(前30年。前27年以後は帝政ローマ)による実効支配を甘受することになるわけですが。
 そのローマの存在を、というよりもローマがどのような国なのか、をユダ・マカバイに教えた報告者の名前や素性は、「一マカ」のみでなくどの書物も明らかにしない。これは残念なことであります。かれらこそ本当の功労者と思えるからです。
 報告者はローマが、ユダヤの軛ともいえるセレコウス朝シリアとの関わりや、ローマの対外政策について語ります。それはおそらくユダ・マカバイが最も興味をそそられる話題でもありました。シリアに対してはアンティオコス3世の時代に勃発したローマ・シリア戦争(前192-前188年)に於いてこれを破り、シリア弱体化の原因を作った。
 ユダ・マカバイのみならず、この報告を聞いたユダヤ人たちは驚きの声をあげたかもしれません。自分たちの上にかぶさる強国がまさかそのような状態にあり、更にそれを打ち破る国家が存在する事に。ユダたちがどのような経緯の末にローマへ人を遣わしたのか、それはわかりません。というのもいまわたくしの披見できる文献は限られたものであり、未見の資料にその理由等が記されているかも知れない、と思うているからです。
 シリアはローマに敗れたことで地中海世界への進出(=領土拡大)を諦めざるを得ませんでした。アパメイアの和約でシリアはローマに対して、多額の賠償金の支払い、軍備縮小、人質を差し出す、インド・メディア・リディア他地域の割譲を約束させられます。この人質が、昨日触れたデメトリオス1世であります(このときデメトリオス1世は1歳になるかどうか、という年齢だったはずです)。
 戦争終結後のセレコウス朝シリアは、オリエント地方と更にその東の地域の支配権強化に専心することになった。その一例が、「一マカ」に見る対ユダヤ政策なのでしょう。
 シリアやエジプトと同じく後継者戦争後に王朝を樹立したアンティノゴス朝マケドニアを破ったことも、ユダ・マカバイたちには驚嘆の声をあげさせたのではないでしょうか。報告自体はわずか2行で済まされておりますが、これをもうすこし詳しくお話しますと、──
 後継者戦争(ディアドコイ戦争)後、地中海世界・オリエント世界は4朝が鼎立、最終的に2朝が残って支配されました(プトレマイオス朝エジプト、セレコウス朝シリア、そうしてアンティノゴス朝マケドニア、リュシマコス朝トラキア)。時のマケドニア王フィリポス5世は前221−前179年在位、一マカ8:5「マケドニアの王、フィリポスとペルセウス、および彼らに逆らった者たちを、戦いで粉砕し、征服した」とは、ローマとマケドニアの間で勃発した<第二次マケドニア戦争>を指すのでしょう。フィリポスは戦後、国内の財政再建に努めるもやがて逝去。アンティノゴス朝マケドニア最後の王となったペルセウスはその後起こった<第三次マケドニア戦争>で敗北、廃位され、失意のうちに逝去いたしました。
 第二次マケドニア戦争と第三次マケドニア戦争はローマとユダヤの関わりを見る際、どうしても避けて通ることのできない事項でありますが、ここについて書くとなれば別に一稿を要す分量となります。為。これについては機を改めて、独立したエッセイとして執筆したく思うております。また、自分の知識不足等も感じておるためでもあります。
 対シリアの報告と同じぐらいユダ・マカバイらの耳目を引いたのが、ローマの対外政策でありました。ローマは、ギリシアの轍を踏むまい、と決めていたのでしょうか。多くの国家を征服して属領にするなどしましたが、そうした被支配地に自分たちの文化や宗教を持ちこんで住民に強制することはしませんでした。それによって多様な社会性が生まれ、長く共存共栄の道を歩んだとあれば、こうしたローマの政策はそのまま21世紀世界にヒントを与えてくれるものにもなるように感じられます。
 敬虔なるユダヤ人を弾圧から解放したユダ・マカバイが次に目指すのが、民族独立であり、かつてのイスラエル王国の如きユダヤ人による独立国家の樹立、でありました。もはやユダは血に飢えた残虐なる民族独立主義者、民族運動の指導者という顔以上にユダヤ人国家建設を視野に入れた政治家でもありました。
 どの段階でユダ・マカバイの脳裏に国家建設の望みが生まれたのか、どの程度まで構想ができていたのか、まだ萌芽の段階でしかなかったのか、定かでありません。が、就中引用もした一マカ8:15−16、「民衆に秩序ある生き方をさせようと、日々検討を続けている。彼らは、自分たちを統治し、自分たちの全土を支配する人を年ごとに一人信任する。そしてすべての者が、この一人の者に服従する。そこにはねたみもなければ、うらやみもない」は、ユダ・マカバイになにかしらのヴィジョンを与えなかったでしょうか(まぁこの報告は若干、理想化されている気が致しますが……)。もっとも、これが今後議論されることも、これに基づいてなにかしらの政策が実施されるわけでもないので、当方の妄言と一刀両断されるかもしれませんが、仮にそうではあってもローマの自国民への保護、および異邦人への柔軟な姿勢には目を瞠るものがあります。シリアの弾圧を経験した者にこれは理想であったように思うのであります。
 では、ユダ・マカバイからの使者を迎え入れて審問した「元老院」、とはなんであったか。それは国政運営の中枢機関、最高諮問機関、と説明されます。
 元老院という機関そのものは王政時代からありましたが、王政・共和政・帝政、と各時代で元老院はその性質をすこしずつ異にしていたようであります。ここでは共和政ローマでの元老院のお話をいたします。
 執政官の諮問機関でありながら構成議員の出自、役職等から事実上の国家統治機関として機能していたようであります。内政・外交の最高意思決定機関、財務上の諸問題──予算決議、果ては国家の人事権の掌握などを担ったのが、この元老院でした。われらの感覚では、政権与党の内閣がこれに相当する、と考えて良いと思います。
 構成議員は当初は貴族(パトリキ)のみ、やがて市民(プレブス)も参加するようになり、議員資格は終身でありました。

 ローマの寛大ともいえる申し出にユダはどのような感慨を抱いただろう。どことなく日米安保を思わせる内容ではあるが、同盟とは案外とむかしから性質を変えるものではないようだ。
 必要あらば条文に変更ができる、とはまた寛大なお言葉である。が、穿った見方をすれば仮にユダヤが自分たちの負担、軛、不利になるような条文の改正、削除を求めてもローマ側(=元老院)を納得させられなければ拒否されもする、ということにもなるだろう。あくまで双方合意の上での条文変更、と考えるのが妥当である。そのあたりの取り決めはどうなっていたのか。今後の、包括的な宿題の1つとしよう。
 ただここでいえることは、当時のユダヤにとってローマの申し出はこの上なく魅力的で、心強いものであった、ということだ。それがローマの、シリア・パレスティナ地方への本格的進出の足掛かりになるものであったとしても。
 事実、ハスモン朝はローマから任命された総督、ヘロデ大王の台頭(前37年、エルサレム攻囲戦⇒ハスモン朝滅亡、ヘロデ王国樹立[ヘロデは王族では勿論ないが、ローマ元老院より王と認められた]。エルサレム攻囲戦でヘロデに助成した(兵を送った)のは、かのマルクス・アントニウスである。ローマが共和政から帝政に移行したのは、前27年の事)と軌を一にして瓦解し、それ以後はローマの属領として総督の監督下に置かれることになるのだから。そうして新約聖書の時代へと突入してゆくわけだ。



 失礼ながらローマの話題が続きます。予約投稿前の本文改訂、感想執筆と改訂を行うにあたり、貧弱な蔵書からほんのすこしばかりのローマ史を引っ張り出してきて、ページを繰っては「ふむ、ふむ、成る程」と頷いたり、「んん、そのところをもすこし詳しく……」と呟いたりしております。これが今日を含めて3日程続いております。
 昨晩もそうでした。が、いつもとはちょっと違う日でした。ローマ、ローマ、と魘されていたわけでは断じて、ない。が、どうしても資料の不足を感じ、むかし買い揃えてその後財政上の都合で手放してしまったこの分野の古典的名著を改めて手許に置いておきたい願望が、もう我慢できぬ程に膨れあがったのでした。そうして昨晩遅く、状態の良い全巻揃いが極めて安価で売りに出されているのを見附けて、もう矢も盾もなく購入の手続きを取ってしまったのです。
 ──嗚呼、モナミ、わたくしは遂に、というか、ようやく、というか、あの本をふたたび書棚へ迎え入れることができるのです!! ハレルヤ!!! エドワード・ギボン著/中野好夫・朱牟田夏雄・中野好之訳『ローマ帝国衰亡史』全11巻(筑摩書房 1976/11-1993/09)を購入したのです。一緒に、同じ書肆から出ている中野好夫・訳『ギボン自伝』(1994/10)も……。
 ご覧の通り、いずれも元版です。ちくま学芸文庫版ではありません。買い揃えて手放してしまったのは文庫版なのですが、最近知ったところでは文庫版では元版にあった註釈がだいぶ削られているそうです。処分してしまったため手許にないので確認はできませんがちくま学芸文庫版は中野好之が訳文に目を通して改訂した、という話を聞きます。事実なら訳文に関してはこちらへ信を置くべきなのでしょうが、文庫版揃いって古書市場でもまだ高いんですよね。いずれは文庫版揃いも(同じく文庫化されている自伝も一緒に)迎えるつもりですが、もう来年の話です、これは。
 もっともギボンの本は書名から明らかなように、「一マカ」の時代よりも後代を扱うので直接の役には立つか、と訊かれれば、「さて」と小首を傾げるよりない。そうして内心では「たぶんないでしょうね」と呟いている。が、安心材料として、また或る種の保険として所持する本があっても良いと思います。
 ……そうなのです、わかっているのです。ギボンよりも先に購入を検討し、お迎えするべき揃い物があることは。ヨセフスとエウセビオスですね。あ、塩野七生もか。これらはもう、気長に条件に見合う出物を待つしかないですよ。
 いまは空間を空けて、ギボンを迎える準備を進めているところです。◆

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