第3351日目 〈未来を模索しよう。〉 [日々の思い・独り言]

 旧約聖書「箴言」にある、「働くものの渇望が、自分のために働く」(16:26)と。渇きを癒やすために人は働く。
 好い言葉ではないか。企業側には願っても見ぬ人材あらわる、だ。目的はどうあれ、目の前に好物をぶら下げられたら、それを手に入れるため仕事に励むのは当然だろう。が、それは世情はどうあれ相応に安定した人生を送れる環境にある人ならば、てふ前提あってのこと。
 昨日04月05日、ウクライナ避難民が政府専用機で到着した。テレヴィに映るかれらの顔には、安堵と疲労と不安が混じりあった色が浮かんでいる。言葉も習慣も異なるかれらが、兎角この、その実排他的で保守的な国でどう生きてゆくのか。
 来日しても日々の糧は自分で得なくてはならないのだ。先の「箴言」はこう続く、「彼の口が、彼を駆り立てるからだ」と。食べるために働く、生きるために働く、という意味だ。
 IS、過激派組織”イスラミック・ステイト”の振る舞いが国際世論で非難された頃だ。日本でもイスラム教徒へ、無知に端を発した心ない言葉と暴力が浴びせられた。まるで無関係の人々が、イスラム教徒、というだけで差別され、石つぶてを投げつけられた。生活の基盤を失って母国へ帰った人もいる。わが日本語の教え子はそのひとり。
 かつて古代守はいった、「俺たちは異星人とだって理解し合える」と。その弟、進は、「それでもどちらかが始めなければ。引き金を引かないという道を選ぶことを」といった。
 アニメだからとて一笑に付すな。この2つの台詞に、ウクライナから逃れ来たった人々と侵略されることも国外避難する経験も持たないわれら日本人のあるべき未来、あらまほしき結びつきを見ることは出来ないか。無理か? 考えろ、行動しろ、覚悟を示せ。
 「箴言」の同じ章にはこんなビリリとした対句もある。「荒々しい人はその隣人をそそのかし、/よくない道へ導く。」(16:29)──どこかにいなかったか、侵略を正当化し、隣国を巻きこんで邪な竈の蓋を開いた奴が。
 しかし、こんな希望を感じさせる文章が、旧約聖書にはある。「歴代誌」下の、終わり近くの一文だ。曰く、「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、七十年の年月が満ちた」(代下36:21)と。国外への避難を余儀なくされたウクライナの人々がバビロン捕囚民のように晴れて父祖の地へ還ることのできる日が早く来ますように。祈ろう。◆

箴言16:26:旧約聖書翻訳委員会役
箴言16:29:フランシスコ会訳聖書
古代守:宇宙戦艦ヤマト2199 第7章〈そして艦は行く〉(00:39:52-56)
古代進:宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち第7章〈新星篇〉(00:14:29-37)
歴代誌・下36:21:新共同訳

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