第3421日目 〈リハビリって苦痛だな。〉 [日々の思い・独り言]

 「浅茅が宿」の現代語訳はいま、プリントアウトした第二稿に朱筆を入れるなど第三稿作成の下準備に取り掛かっている段階。これが終わったらしばらく休んで療養にこれ努め、意気を蓄えたらそろそろシェイクスピア読書に取り組もうか、と考えている。
 否、もう1編ぐらい『雨月物語』のお話を訳すか、或いは従前より手を着けている近世期怪談の新しい現代語訳か、など考えているが、これも浮気性なわが身の為せる業。まぁ、次になにをやるにせよ、療養等をその間に挟むことに変わりはないけれど。
 そういえば最近、鷲田小彌太『定年と読書』(文芸社文庫 2011/02)を読んでいる。読書論をまとめて読んでいた時分に購ったと思しき1冊だ。
 たぶん今回が2度目になるはずだが、精々が流し読みで済ませたのだろう。その内容にも文章にも、まったく記憶するところがないのである。いまはベッドに入ってから数分の読書のお伴だ。適当に開いたページを漫然と読むだけだから、1冊を読み通すにはかなりの時間を要す──もっとも、1冊を読み通すとは到底思えない、というのが正直な気持ちである。
 ──実は本稿、リハビリ目的で書いている。こんなことを唐突に告白するのは、黙っていることに限界を感じたためだ。
 ここ数日、ただの一行も文章を書いていない。書いていない、というよりも、書けない、書いても書いても以前のようなものを、以前のようには書けない、というのが正しい。
 なにを書くか、どう書くか、どんな文章にするか、などなど考えたり、或いは書いていても集中力が続かず、形ができあがる前にドロドロに溶けてしまい、知らないどこかへ消えてしまうのだ。気怠さがそれに拍車をかけている。
 これまでお披露目したものと本稿を比較したとき、その落差は果たして如何程か。まるで見当が付かぬ。話題と文章が支離滅裂な点でも本稿は、悪い意味でわたくしの記憶へ長く残るものとなるに相違ない。どれだけ力を振り絞ってもこの程度しか書けないならば、いっそ筆を折った方が潔いやもしれぬ。ふと、そんなことを本気で考える。◆

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