第3453日目1/2 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。6/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 夏夜にもかかわらず過ごしやすい晩だった。障子紙の破れ目から松風が途絶えることなくそよそよと吹きこんできていたせいかもしれない。勝四郎は寝苦しさを覚えることなく明け方まで、旅の疲れと帰宅した安心感からぐっすりと、寝入ったのである。
 ──五更、というから、現代でいえば午前4時から6時の間。夏であるから空が白んで太陽が昇る頃だった。
 幾ら涼しい夜だったとはいえ、流石に寒さを感じた。勝四郎は寝ぼけ眼のまま、そこにあるはずの夜着を被ろうと、手を伸ばして探った。なにやら、さやさやいう音が耳朶をくすぐるのに気附き、今度は本当に目を覚ました。
 顔にひんやりとしたなにかが触れた。触れた、というよりは、零れてきた、という方が正しいか。おや、雨漏りでもしているのかな。勝四郎はぼんやりした頭でそんな風に考えた。が、それはすぐに新たな疑問に打ち消された──昨夜、雨なんて降ったっけ? 勝四郎はその瞬間、がばっ、と起きあがって、あたりを──懐かしきわが家を見回した。
 果たして、なんとしたことか──家はわずか一晩のうちに荒れ朽ちていた。
 風にまくられて屋根は剥げ、梁と梁の間から白んだ空が見えた。有明の月、中天の星がその空にはまだあった。扉は外れ、床板は剥がれ根太が覗いている。床下の地面からは荻やら薄やらが好き放題に、背を競うように伸びていた。
 先程勝四郎の顔に零れたものの正体は、この荻や薄の穂に付いた朝露が偶々夜着の上に落ちて濡らし、それを被ったがゆえにかれの顔へその滴が零れたのである。
 更に顔を巡らすと、壁には蔦葛が這い、庭は葎で覆い尽くされていた。
 その印象を一言でいえば、まさしくボロ家、である。
 狐狸の見せる幻か。否、現実だ。どれだけ荒れ朽ちて草生す廃屋となり果てても、ここは住み馴れたかつてのわが家である。好みや要に合わせてしっかりと造作のされたわが家だ。
 呆然とした表情で勝四郎は、床が崩れて足の置き場もない家のなかを改めて見渡してみて、ああそうか、と殆ど直感のようにして悟ったのである。宮木は──いつのことかわからないが既に身罷っており、住む人をなくしたこの家には代わって狐狸が棲みつくようになったのだな。であれば、妖しの存在が幻を見せたとしても、いっかな不思議じゃあない。もしかすると俺の帰りを察して黄泉の国から戻ってきた妻の魂が、あんな風に繰り言をいったのかもしれないな。だとしたら、俺があいつのことをずっと想っていたのと同じように、あいつも夫の俺を終生想ってくれていたのかなぁ……[25]。
 そう考え至った途端、勝四郎は目が熱くなった。が、滂沱と滴り落ちてもよさそうな程の涙は、流れてこない──あまりの慟哭の深さに却って涙の一粒すら零れてくれないのだ。まァ、そんなものであろう。あまりに深い哀しみに直面したとき人は、得てしてそうなるものなのである。
 妻は逝き、家は廃れ、あたりの様子も含めてなにもかもが変わってしまった。なのに自分だけが昔と変わらず、ここにこうしてある。
 そう独り言ちながら勝四郎は家内をあちこち歩いて回り、最後に、夫婦がむかし寝室として使っていた奥の部屋に辿り着いた。ここも床板が外れていた。床の裂け目に目をやると、露わになった黒い地面の一部が、他よりすこし高く盛りあがっている。それは、塚、なのだった。それを守るようにして三方は板切れで囲まれ、雨露を防げるよう屋根が、やはり板切れで設(しつら)えてある。
 昨晩の妻の霊はここから出てきたのか、と嘆息した。怖い、というよりも、懐かしい、とか、愛おしい、という感情の方が、かれのなかで湧き起こって優った。昨晩の宮木の言葉や表情や肢体が勝四郎の心のなかに浮かんでは消えてゆく。
 ふと視線を動かすと、塚の前には手向けの水が注がれた器がある他、一片の木片が刺さっていた。古びた那須野紙が貼ってある。なにか、書いてあった。所々は薄れて判読もすぐにはできない程だが、そこにあるのは確かに宮木の筆跡である。
 よくよく読むと、書かれているのは法名や月日ではない。短歌が一首、書きつけられている。曰く、──
  さりともと 思ふ心に はかられて 世にもけふまで 生ける命か[26]
──と。
 事ここに至ってようやっとかれは、妻の死を確認することができた。途端、大いにむせび泣いて、泣いて、泣いて、膝から崩折れて、妻の名を呼び、泣き叫んだ。
 ……。
 ……息も絶え絶えの勝四郎は、木片に手を伸ばして、那須野紙の隅にまで目を凝らしてみた。が、妻の命日となった月日は、手掛かりだに残されていない。大切な人がいつ身罷ったのか詳らかにならぬとは、なんと情けなく、また惨めであろうか。□



[25]「あんな風に繰り言をいったのかもしれないな。だとしたら、俺があいつのことをずっと想っていたのと同じように、あいつも夫の俺を終生想ってくれていたのかなぁ……」
 →勝四郎は本当に脳天気かつ自分本位かつお目出度い人物である。昨晩の宮木の台詞が繰り言とわかっているなら、想い想われだけで出てきたわけじゃあるまい、とわかりそうなものだが。もっとも、想うているからこそ繰り言の一つも出るのだ、ということは理解しているようだが、……。少なくとも勝四郎の如き人を知己には持ちたくですな。
[26]さりともと 思ふ心に はかられて 世にもけふまで 生ける命か
 →典拠;『敦忠集』(権中納言敦忠卿集)並びに『続後撰和歌集』巻十三恋三「さりともと おもふこころに なくさみて けふまてよにも いけるいのちか」(857)◆

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