第3450日目2/2 〈わが家の戦争体験。〜〈昭和から平成へ・特別編〉〉 [日々の思い・独り言]

 母方の祖父は戦時中、特高だかに拘留されて、2日程ながら留置所に入れられたそうだ。
 小さいながらも商社の小売り部門に勤めていた祖父は当時、食料品の管理等を任されていた。その倉庫には砂糖や小麦粉など当時としては稀少品が保管されている。不勉強のため詳細は未詳だが、当時食料品倉庫には保管してよい食料と保管してはいけない食料があり、祖父の勤務するその商店の倉庫には両方が保管されていた由。
 或る日。特高だかが来て倉庫の保管物をチェックし始めた。そこには、保管していてはいけない食料があった。それが、砂糖である。戦時中の砂糖は稀少品どころか贅沢品だ(輸入困難となっていたため)。ゆえに祖父は引っ張られた。
 本来ならば商店の社長が引っ張られるところを、なぜ祖父がそうした目に遭ったのかわからない。社長はまだ若かったから、とか、そんな話を聞いたが、もはや実際は闇の向こうである。また、2日とはいえ拘留期間中、祖父がどのような扱いを受けたのか誰も知らぬ。祖母は知っていたろうが、母たち娘らは一切聞いたことがない、という。
 件の倉庫に贅沢品だった砂糖が保管されていた理由もその過程等含めて不明だ。ただ戦前からあって戦後まで取引が続いた日清製粉が絡んでいたろうことは想像に難くない。然れど、──
 倉庫保管品の可否を定めたリストがあったとは、初耳である。それがいつ施行されたのか、民間に──業界に──伝達されたのはいつなのか(どのような形で告知されたのか)、そこで働く人達はそうしたリストがあり砂糖など倉庫保管してはいけない品目があることを知っていたのか、など疑問点は幾つもある。
 確かに子供時分から、実家には戦中も潤沢ではないながら(小麦粉や)砂糖があってカステラなど作って食べていた、と聞いてはいた。単純に富裕だったのだな、と思う程度であったが、もしかしたらそれは倉庫の話のあとの時代のことなのかもしれない。あくまでそれは倉庫保管品の可否であって、個人所有品の可否ではないからだ。
 砂糖は商店から消えた。母の話では砂糖がなくなったあとは各種佃煮など置いていたそうである。母からは商店の倉庫、と聞いただけだが、上述佃煮の話を加味すると、戦後は業務拡張して不動産も取り扱った「商店」の、いまでいえば小売り部門に当時の祖父は勤めていたのかもしれない、とはわたくしの推測に過ぎない。この不動産に関して、母方の実家と母と某政治家宅及びその邸宅前でのデモにまつわる挿話があるが、また別の機会に。
 亡父にもおそらく話したことがないという母の思い出話である。◆

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