第3470日目 〈会社への不信は、下から。〉 [日々の思い・独り言]

 横浜市某地域に於いて朝日新聞は非常に評判が悪かった。正確には朝日新聞が、ではなく、その販売センターが、である。
 それはマンションの1階にあった。商売柄、まだあたりが寝静まっている時間帯から忙しく動き回り、購読者宅への配達準備であわただしい空気が満ちていた。致し方ないことだが歩道は配達用のバイクで埋まり、出陣前に円陣でも組んでいるのか、ときどきかれらの気合い入れる声が、坂の上まで風に乗って聞こえてきた。するうちバイク何台ものエンジン音が響き、刹那の後にあたりは何事もなかったかのように静穏に包まれる。
 宵っ張りの生活を送っていた頃はかれらの出陣式が、時計代わりになっていた。ああ、こんな時間か、そろそろ寝るか、と。そうした意味ではありがたい存在だった。こうした人々あるお陰でわれらは、毎朝毎夜、当たり前のように自宅で新聞を読むことができるのだから。
 が、それはあくまで配達に関してのみのこと。
 「◌◌新聞の勧誘が強引すぎる」
 「むりやり購読契約させられた」
 「──そんな類の苦情が消費者センターに多数寄せられています」
 新聞社の強引な勧誘が社会問題化すると、某社のニュース番組や解説番組で取りあげられた。新聞の購読世帯が減少の一途を辿り始めた最初期であったか。それだけどの新聞社も購読者の獲得に躍起となり、熾烈な競争をせざるを得ない時代だったのだろう。
 そんな世の潮流に従ったわけではあるまいが、当時の朝日新聞の勧誘も、なかなか激しいものであった。
 昨日附けの原稿(第3469日目)からコピペすれば、「強引な勧誘は当然、日常茶飯事として、配達済みの他紙をポストから抜き取って捨ててみたり、勧誘役の敷地内不法侵入や非常識な振る舞いの数々」が繰り広げられたのだ。もう1度いうが、ホントのことさ。
 むろん、すべての勧誘員がそうだったわけではない。むしろ引用した行為に及ぶ人の方が圧倒的少数派であろう。そう信じたい。その圧倒的少数派(推測)の行為が自発的にされたのか、止むに止まれずされたのか、わたくしは知らない。
 鬱憤晴らしなのか。センター長に忖度したのか。〈営業あるある〉の1つとして、ノルマ達成のために合法と違法の狭間を行くしかなかったのか。件の少数派(と思いたい)人たちがどのような思いで、斯様な蛮行に及んでいたのか、いまとなっては知る術はない。
 が、正直なところをいえば、ノルマ達成の辛さ、大変さ、っていうのは骨身まで沁みていまでも忘れられないから、勧誘員の苦労には理解できるんだよな。「購読世帯が減少すること」イコール「(最終的に)かれらの生活を脅かすこと」だから、新規購読者の獲得に必死になるのも理解できるけれど、……地域のみならず消費者センターにまで苦情が行ってしまうような勧誘は、流石にダメだよ。
 関係あるか知らないけれど、マンション外装工事の時期にかの販売センターは撤収した。購読者減少に伴う販売センターの統廃合の一環だろう。そう思いたい。……優しすぎ?
 横浜市某地域に於いて朝日新聞は非常に評判が悪かった。それは販売センターに起因する。思想はともかく、内部の体質はともかく、掲載される記事や論説は宅配されている新聞とは基調が反対だもん。読んでいてあちらでは好意的に取りあげられたニュースがこちらでは徹底的に批判されている、なんてこと、朝日新聞と読売新聞(あ……)を読み比べたことのある人なら誰しも経験しているでしょう。
 ──07月28日宵刻、本稿は萌芽した(呵呵)。まだメモの域を出ていないが、そのなかの書きつけである。曰く、「住民(エンドユーザー)といちばん接する人の応対によって、会社へのイメージや信頼は損なわれもするし、(良い企業と)見直されもする。(ex;関西電力と大阪ガス)朝日新聞社は自分にとってはその好例」と。
 要するに、会社への不信はエンドユーザーと接する場所から生まれるのだ。新聞の場合は販売センターの対応から。そこに誤報や隠蔽といった新聞の内容に関わる自体が加わると、購読者数は減り、部数も減るのは必然としか言い様がない。
 その昔、スイスにヒルティという法学者がいた。『スイス連邦共和国政治年鑑』の創刊・編集に携わりもした。どの著作であったか、すぐには思い出せないが、こんな趣旨のことを書いている。曰く、「国家の根本を成すは国民であり、国民が良くなれば上の階層にいる人たち(政治家や法律家など)も良くなり、国家も自ずと良くなる」と。
 どこかの国の政治家たちに聞かせたいが、いまは新聞の話。これを適用すれば、──
 新聞社の根幹を成すは基本的にエンドユーザーと直接接する販売センター所属の人たちであり、かれらの言動如何に購読者の増減がかかっている。かならずしも両者──言動と増減──はイコールではないが、非常に近しい関係にある。
 購読世帯の新規契約数や駅売り部数が伸びれば、本社支社に属する記者や論説委員たちの士気も上がり、より良い記事を物してゆくことができる。整理部は良質な記事が集まれば集まる程、どの記事をどれだけの大きさで扱うか、迷って嬉しい悲鳴をあげるだろう。
 部数が伸びれば、つまり業績が上向きになって株価も上がれば、それはもしかすると社員の給与アップにつながったり、特別賞与の支給額だってあがるかもしれない(株主も、ウハウハである)。それは社員の生活の安定を保証するだろう。子供をもっと良い学校に行かせることもできるだろう。独身社員は結婚も現実的に考えられるようになるだろう。まさにWin-Winだ。
 但し一定以上の役職に就いた場合、外部的要因によって幾らでも変質するので、ヒルティの言葉はかならずしも当てはまるものではないことは、留意する必要がある。
──となる。むろん、これが理想以外のなにものでもないことは承知だ。
 基本的に、会社への不信は〈下〉から生まれる。同様に、信頼も〈下〉から生まれる。各種営業職、コールセンターのOPや管理者、物流に携わる人々、役所窓口の人々、医療現場の人々、あらゆるサービス業、等々エンドユーザーとなにかしらの形で接する仕事をしていれば、自ずとおわかりいただける部分あるのではないか。
 なお、販売センターについてASAのみを挙げたが勿論、同じ問題は他紙販売センターでも往々にして起こり得ることであり、ゆえに本稿がASA批判目的で書かれたわけではないとご理解賜れれば幸いである。
 付言すればASAの件はもう何年も前の話であり、現在は新聞社のサイトで直接宅配なり電子版なりの契約ができるようになったので、「勧誘」という行為自体が減ってかつてのようなトラブルも減少している、と聞く。◆

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