第3515日目 〈約2カ月ぶりに読む蘇峰『近世日本国民史〜赤穂義士篇』。〉 [日々の思い・独り言]

 『近世日本国民史』〜「赤穂義士篇」を読み終わらずにいる。以前と違って毎日、或いはほぼ毎日の半強制的読書時間がなくなったので、こんな風に読む間隔が開いてきているのだ。なお半強制的読書時間、とは、通勤や通院の往復の電車であったり、昼休憩時や退勤後のスタバでのそれを指す。……在宅なんて殊読書時間の捻出に関する限り、まったく以て良いことなんてなに一つないですよ。
 そんなボヤキはさておき、蘇峰『近世日本国民史』の話。不思議なことにどれだけ時間が相手の読書再開であっても、蘇峰のこの本はすんなりとその文章に馴染め、かれの開陳する歴史の世界へ入ってゆける。これはなかなか見事な技術ではないか。偏に蘇峰の本に、〈読ませる力〉と〈歴史のうねりを再現する技術〉が備わっている証拠だ。
 読ませる力、とは即ち文章力である。誰かがいってた。歴史を語る者が文章の力で読ませられなくてどうするのか、と。うん、確かそんな趣旨の発言だった。

 ──と、ここまでは今年08月21日夕刻に書いた。いまお読みいただいているのは謂わば、過去に書きかけたエッセイの再利用というてよい。ネタに詰まったわけではなく、いつか使おうと思い放置していたものを、機あって此度使うことにしたばかりのことである。
 なぜ、使うことにしたか。一昨日と昨日書いていたエッセイを承けて、読書の整理と降り戻しが生じたことによる。むろん、ここ数ヶ月の読書を急に、むりやり終わらせるのではない。ただ、力点を置く比率に変化が起こったのだ。これが周期的な現象であるのは、流石にこれまでの人生と読書歴でわかっているから、いつかふたたび社会科学系の読書に力点を置くことにはなるだろう。が、いまは本道に戻って──。

 昨日になるけれど、電車のなかで久しぶりに徳富蘇峰『近世日本国民史』を読んだ。相変わらず「赤穂義士篇」である。つまり、この2カ月というもの、まるで読書が進んでいなかったのだ。
 2回程この間に開いたことがあったけれど、また蘇峰の世界に戻る心的準備はなく(読む、というよりは、ただ巻を開いた、目を活字の上に曝した、というのが実際に近いな)、加えてそのたび眠気に襲われて、襲われるに任せた結果、2カ月も事実上たったの1ページすら進むこともなく時間が流れたわけだ。
 では、今度こそ本道に戻って、──。

 第7章で読書は止まっていた。「目を活字の上に曝し」ていたのは即ち、第8章ということになる。これはちょうど脱盟者の姓名と石高を、煩を厭わず掲げた箇所が冒頭にあり、脱盟者が続出した次第を史資料を駆使して綴ってゆく章であった。
 「歴代誌・上」や「マタイによる福音書」をお読みになった方がもし、このなかにあれば、冒頭に系図が列記(羅列)されていたのを思い出せるだろう。うん、あんな感じです。つまり、逐一読んでおったら眠気が先か、嫌気が先か、或いはすべてを抑えこんでなかば義務的に読み進めるか、3者択一を迫られるのが、「赤穂義士篇」第8章なのである。
 同じようなことは過去の章にもあったけれど、それが苦もなく克服できたのは、読書の連続性のなかにあったからに過ぎない。中断なく読んでいれば、リズムは体のなかに刻みこまれ、チューニングの労なく(あっても極めて短時間で済む)すぐにその世界に戻ってゆける。
 が、今回は「読書の連続性」が2カ月にもわたって中断されていたのだ。こうなると最早、戻るは難しく、いっそ読むのを止めるか最初から読み返した方が賢明である──通常であれば。文章力を欠いた読み物であれば。
 『近世日本国民史』に限らず蘇峰の本を今年になって、何冊か読んだ(図書館の所蔵本だが)。扱っている話題についての当方の理解度や好みなどはともかく、どの本にも共通していると感じたのは、話題/対象に寄せる蘇峰の持続する熱意と博覧強記、そうして出した本ことごとく片っ端からベストセラーになったてふ伝説を裏附けるその文章力、の3点であった。
 熱意と博覧強記については、刊行物の多さと1冊のページ数が語るので、本稿では触れずに済ます。が、文章力については簡単ながらここで話題としたく思う。
 その文章力を支えるものが、対象への熱情にあるのは間違いない。その熱意は史資料を読み漁ってそれについて考えを深め、人の話を聞いて得た知見や考えさせられた、いうなれば博覧と思考に生み出されたであろう。つまりこの三者は常に相互関係を築いてそのサイクルが途切れることはなかった──その果てに生まれて、代表作となったのが『近世日本国民史』ということに、ロジックに飛躍こそ多少あれどそのプロットに瑕疵はないと思う。
 こうして話は〈文章力〉に帰る。とても単純で、簡単な話で、すぐに終わる。書くことに飽いたのではない。
 流石に年単位の中断あったらば、どんな文章家でも読者をふたたび呼び戻すことは困難かもしれないが、数ヶ月であれば……可能なのではないか?
 現にここに、徳富蘇峰という実例がある。蘇峰は類い稀なる文章家だ。そういうのは、文章の端々に表れた熱情と博覧に起因している。およそ蘇峰の如き、読んでいてその文章から著者の熱情、気迫、時にマウントさえ辞さないえげつなさを感じさせる著述家が、あの時代にあったことをわたくしは知らない。
 論理や理性ではなく、感情に訴えかけてくるタイプの文章家なのかな、蘇峰っていうのは。自分の〈義〉を、筆の力を武器に世間に問うて戦うタイプの戦闘家。──そんな印象を、殊此度2カ月ぶりの読書で抱いたことである。
 蘇峰はジャーナリストであった。その時代に育まれた筆力が後に文章で歴史を読ませる蘇峰誕生の温床になった、と考えるのはあながち誤りではあるまい。蘇峰の本を何冊か読みこそすれ、生涯についてはまだ知らぬことばかりのため(Wikipediaもどこまで信用して良いか不明だ)、立ち入ったことに話を及ぼすことはできないが、ジャーナリストとして活躍し、新聞社の社主をも務めた蘇峰が近代以後、類例なき大きな歴史書の作者になるのは必然の運動であった、と、ひとまずは結論附けたい。
 一周回った感があるせいか、2カ月の中断を経て読む『近世日本国民史』〜「赤穂義士篇」。史料から、90人近い脱盟者の姓名と石高を写した部分とそれへの蘇峰の短いコメントの部分とはいえ、引きずりこまれる力を感じるんだよなぁ、という話から発展した本稿でありました。◆

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