第3547日目 〈大いなる幸せに恵まれた人となり、喜びの声をあげよう。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日、本ブログも終活を始めたよん♪ と書いた。それへ追記した稿は既にお披露目済みと思うのですべてはそちらへ譲り、今日はそこから派生したお話をば。
 〈終わりの始まり〉はもうとっくに幕を上げているのかもしれない。ひょっとするとそれは錯覚で、まだ先のことなのかもしれぬ。「しかし人生は一々の事件にたいして覚悟ができているかどうかを、あらかじめわれわれに聞きあわせてはいない」(※)のだ──わざわざ、♪ジャジャジャジャ、ジャーン♪ って扉を叩いて知らせてくれやしないよね。
 ただそのような時来たる意識することで、却って書いておきたい、書いておくべきテーマはなにか、明らかになったところがある。それに従って今後は筆を執ってゆこう、というのだ──勿論、毎回毎回じゃあないけれど。
 わたくしだけが娘に、父の知ることを伝えられる。ずっと以前、本ブログの記事一々は毎日着実に増えてゆくわが墓誌である、と書いた。その気持に変わりはない。今日より後はそこに加えて、言い遺し、書き遺しの性質を帯びることになろう。
 もう、時間は残されていない。
 さりながら歳月経ていつかここで、これが、病癒えたる者の神への感謝の歌、となるのを願い、祈る。秋成みたく「嗟呼、天は何が為に我を生みしか」もしくは「噫、天何為生我世邪」(ああ天よ、なぜ私はこの世に生まれたのだ)てふ嗟嘆ではなく、感謝を──おお神よ、人生よ、両親よ、兄弟よ、妻よ子よ、汚れなき感謝をささげます!──歌えるように、生きる。◆

※ハンス・カロッサ『美しき惑いの年』「苦悩の世界」P324 手塚富雄・訳 河出書房新社『世界文学全集』第30巻 1961/08□

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