第3641日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉09/12 [日々の思い・独り言]

目次
零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←FINISHED!
一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。←FINISHED!
二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。←FINISHED!
三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について)←FINISHED!
四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」)←FINISHED!
五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」)←FINISHED!
六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」)←FINISHED!
七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について)←FINISHED!
八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集)←NOW!
九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集)
十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集)
十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深く首肯する。(新古今集)


 八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集)
 わたくしは『万葉集』とけっして相性の良い読者ではない。むろん集中愛吟愛唱する歌はありと雖も、では八代集の如く一歌集として握玩鍾愛して止まぬかといえば然に非ず。どうした理由か、ふしぎと自分でもわからない。此度『恋愛名歌集』を読むことで期待したのは、これを契機にその態度がすこしでも改善されると嬉しいな、あわよくば『万葉集』愛なる者が自分の内に芽生えればいいな、ということだったが、さて結果は……。
 『万葉集』選歌の章で目立つのは、恋歌ばかりでなく叙景歌、羈旅歌も等しく抜き出されていること。人麿「玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の 野島の崎に船近づきぬ」(P21 巻三250 異「玉藻刈る処女を過ぎて夏草の 野島の崎にいほりす我は」)がその最初で、編外秀歌、と添書がある。その意は同歌の朔太郎註にある如く、「本書の編外に属す」歌。万葉八代から専ら自分のために恋歌を選んでみたが、『万葉集』についてはそのカテゴリーに属さぬ歌のなかにも好む歌、紹介せず無視して過ぎるには惜しい歌もある、そうしたものを「編外秀歌」としてここに載せる、というのである。いま数えてみたら、『万葉集』から選ばれたるは全180首、内編外秀歌は63首あった。わずかに上回るとはいえ、1/6強である。この編外秀歌は『万葉集』のみならず八代集選歌の各章でも散見される。
 朔太郎は「(総論「『万葉集』について)」で、万葉時代の言葉は恋愛の濃やかな機微を表現するには力強すぎる旨発言していた。
 が、却ってその力強さが功を奏した歌も存在するのだ。それは寝取り(NTR)/不倫の歌であり、別れを惜しむ歌であり、片恋の歌である。いい換えれば万葉時代の力強き言葉は、想い想われる男女間の既に成立した関係や、歌垣を想起させる恋愛遊戯には適さぬが、情愛のベクトルが一方通行的であったり、恋愛関係が成立する以前の段階、もしくはなんらかの動機で終焉を迎えたり、一時的別離の際の、そうした折の激しい感情が吐露された歌のときには破格の効果を現すのだ。たとえば、──

 君が行く道の長路を繰り畳ね 焼き亡ぼさむ天の火もがも
(P36 狭野弟上郎女 巻十三 3724 離別)

 験なき恋をもするか夕されば 人の手巻きて寝なむ子ゆゑに
(P26 詠人不知 巻十一 2578 NTR・不倫)

 うらうらと照れる春日に雲雀あがり 心かなしも一人し思へば
(P38 大伴家持 巻十九 4292 異「うらうらに」 片恋)

──など。
 最後に、海の歌について。
 『百人一首』にも採られた山部赤人「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に雪はふりける」(P44 編外秀歌 巻三 318)という一首がある。
 人麿詠と伝えられる海を題材にした歌があって、「さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦船 楫の音高し水脈早みかも」(P51 巻七 1143)など7首を引く(P51-2)。また人麿には、『古今集』収載歌であるが有名な、「ほのぼのと明石の浦の朝露に 島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(巻第九 羈旅歌 409 岩・文P111)という作物もある。
 これら海洋歌について朔太郎は、非常なる卓見を本書に残した。わたくしはここを読んだとき、思わず膝を叩き、内心「ハラショー!」と叫んだ者である。長いが引用して本章メモの擱筆へ向かう。曰く、──

 万葉以後、日本には海洋を歌う詩人が一人も居なくなったしまった。海洋詩は万葉歌人の特色であり、しかもそれがまた特に優れて居る。万葉の海洋詩には、いずれも茫洋たる海の遠音を聞かせるような、不思議な荘重の音楽があり、貝殻に耳をあて大洋の響きを聞く如き、ある種の縹渺たるノスタルジヤを感じさせる。
 この海洋詩における上古人の郷愁は、思うに彼等の近い先祖が、大陸の方から海を渡って移住して来た時の記憶であり、遠い母郷への未知の回想によるのだろう。なかんずく彼等の中で、海洋詩における郷愁の音楽を高く奏したのは、実に柿本人麿を以て第一とする。(P52)

──と。元は一つの段落であるが、引用にあたり適宜改行した。
 たしかに八代集、十三代集、私家集などこれまで読み得た古典和歌に、海洋詩と呼ぶべきものはなかったように記憶する。海、入江、沖、浦など詠みこんだ歌は幾等もあったが、主題は別にあって(圧倒多数が恋歌へカテゴライズされる)、海洋を主題に持ってきて広く強く巧く詠みあげた歌は、『古今集』以後の歌人には近代になるまで殆ど無縁の作物であったろう。然り、けっして海洋詩と呼ぶ程の代物は彼等には詠み得ぬ題材だった……。
 而して万葉時代の如き海洋詩が日本の詩歌史の表舞台へ現れるのは、上述したように、1,000年以上の空白期を間に置いた近代へ至るまで待つ必要があった。若山牧水や三好達治、丸山薫らの登場するまでは。
 古典和歌の時代に主体的な意味で海洋詩が詠まれなかったのはなぜか? 和歌で俳句であれ漢詩であれ、積極的に題材とされなかったのは、いったい……? このあたりは調べ甲斐のある題目と思える。どなたかお調べになってみてはどうだろう。

 ※『恋愛名歌集』〜「万葉」選歌ノ章、メモ書くを11月失念していたらしく、モレスキンからノートへ書写中に初めてそれに気附く。為、慌てて昨日今日と是を書き足す。以て此の日本当に『恋愛名歌集』メモ了んぬ。(メモ/’23,01,10、ノート/’23,01,12)□

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