第3642日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉10/12 [日々の思い・独り言]

目次
零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←FINISHED!
一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。←FINISHED!
二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。←FINISHED!
三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について)←FINISHED!
四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」)←FINISHED!
五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」)←FINISHED!
六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」)←FINISHED!
七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について)←FINISHED!
八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集)←FINISHED!
九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集)←NOW!
十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集)
十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深く首肯する。(新古今集)


 九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集)
 愕然とした。ここに選ばれた『古今集』収集歌に然程心の動かなくなっていたからだ。他人がセレクトしたのだから、なんてのは理由にならない。色々書きこんだ佐伯梅友校訂『古今和歌集』を併読した末の実感である。念のために申せば朔太郎や子規の『古今集』批判に囚われてのことでもない。
 『恋愛名歌集』を読みながら、幾首もの懐かしい歌と再会した。三十一文字を完璧に覚えている歌もあれば、五句の一部が曖昧な歌もあった。そうした歌の多くは佐伯『古今集』で斜線を引いた──心に留まり、動かされ、共鳴した歌である。
 が、四半世紀以上の歳月のあと朔太郎というフィルターを通して『古今集』の歌を読んでみると……あれ、こんな味気なく、稚拙な歌が多くを占めていたかな。古典時代の人々に倣い、近代詩歌人の評へ反発したわけでもないけれど、当時の自分が短歌を詠み、古典学者を志していたてふ或る種の弊害だろう、『古今集』を絶対視化していた頃は、ここへ収められた歌を未来の自分がよもや味気ない、とか、稚拙、なんて思うようになるなんて想像もせなんだ。──歳月がわたくしを成長させた? 否、そんな単純な話ではあるまいに。
 朔太郎が選んだなかには、いまでも心を動かされ、共鳴せられる歌は勿論、ある。例によってそうした歌には斜線を引いた。換言すればそれらは、真の愛誦歌である。いつまでも心の底にあり、記憶の澱となって、ふとした拍子に思い出す、そんな短歌である。
 まァ、それはよい。むしろ古びぬ感性に天晴れと自讃すべきだろう。が、問題なのは、──冒頭で愕然とした、というのは、佐伯『古今集』で斜線を引いた歌が『恋愛名歌集』に選ばれてあっても、その過半が、いまのわたくしにはまったく響かず、惹かれるところもない(皆無)てふ動かし難き歴然たる事実なのだ。
 歳月がわたくしを成長させた、というよりは、歳月がわたくしの感性を鈍らせ、衰えさせた。そう考えるのが自然だろうか。
 数字で示そう。『恋愛名歌集』に選ばれたる『古今集』の歌は、全96首、斜線を引いたのは13首に過ぎぬ。約1割である。では、斜線を引かなかった──除外された88首の内、佐伯『古今集』に斜線を引かれてあるのは、31首を数う。ほぼ1/3、か。
 ──これは、咨、果たしてなにを意味するぞ。
 むろん、読み手たるわたくしが変わったのである。多く読めば読む程、目は肥え舌も肥え、心は磨かれる。わたくしの場合はそれを、勅撰集収載和歌と『恋愛名歌集』の併読によって眼前へ突きつけられた、というに過ぎぬだろう。菜緒恋を重ねての話ではない。
 本書『古今集』選歌の章を読んでいて、いやいやまったくその通り、と膝を叩き、また成る程と深く首肯させられた箇所が2つ、あった。紀貫之と小野小町、『古今集』代表歌人の一角を占める両人の歌への評言である。
 まず貫之。曰く、──

 彼の本質は、歌よりも歌学者の立場にあった。歌学者としての貫之は、相当立派な見識を把持して居り、歌の鑑賞においても批判においても、確かに時流を抜いた一人者だった。特にその有名な「古今集序文」を見ても詩論家として堂々たる態度であり、かなり深く詩の本質問題に理解を持って居たことが推察される。しかしその理解や見識やは、彼の認識に属する頭脳の問題に止まって居た。(P81)

──と。詠歌に才なく鑑賞評論に能あったのが紀貫之であった。後述する藤原定家への朔太郎評と併せると面白い部分がある。
 次に小町。曰く、──

 小町の歌は媚あまって情熱足らず、嫋々の姿勢があって、しかも冷たく理知的である。こうした性格の女であるから、生涯恋愛遊戯をして真の恋愛を知らなかった。歌に風情あって実感のない所以である。(P23)

──と。小町の歌は遊戯性に走ってそのなかで喜々としている言葉並べに過ぎぬ、ということか。瞬間の男旱を嫌うて絶える時なく恋愛していると自己欺瞞に陥っていたのが、彼女であり、現代に至るもこの同類は跋扈して己の陥弄に気附かずにいる。後代の和泉式部などとはまるで対極の老いたる女流だ、小町は。勅撰閨秀歌人のうちでもまったく顧みる価値も意義もない人と思う。
 この引用を踏まえて考えてみるべきは、①貫之と、時代の別はあっても同じ歌人/歌学者であった俊成定家父子を明らかに分かつものはなにか? ②たしかに小町の詠に心動かされること共鳴すること極めて少なしと我思い、それを恋愛遊戯と斬った朔太郎の言葉に大きく首肯させられたが、「遊戯」と「本物」の違いは、たとえば和泉式部と小町の恋歌を引き比べたとき如何なる差異が明白となるか? であろう。
 ──『古今集』選歌の本章で選ばれたる96首の内、斜線を付けたは13首。続く六代集(『後撰集』〜『千載集』)、『新古今集』を終えたとき、それぞれに於いてこの数字はどんな現実をわたくしへ突きつけるだろうか。怖い。でも、愉しみ。
 明日からは「六代集」選歌章である。□

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