第3646日目 〈塵も積もれば。──次に読む本を選ぶ楽しみ。〉 [日々の思い・独り言]

 まこと、至福の時は夜、床に入って電気を消すまでの時間。すぐには寝附けぬから、奥方様としばし話したあとでおもむろに、枕辺の本を開く。奥方様も同じだ。
 三鬼清一郎『大御所徳川家康』(中公新書)があともう少しで読み終わる。残すは第9章と第10章。大坂の陣も終わり、武家諸法度と、禁中並公家諸法度も発布し、幕府体制がこんにちわれらの知るような形となって、家康自身は駿府で文字通りの、人生初めての楽隠居の時間を持つ。
 ほぼ毎晩、ちょっとずつちょっとずつ、ページを舐めるようにして読み進め、あと40ページ程で読了となる。別稿で挙げた『ウクライナ戦争』同様、読めても精々が小見出し1個から2個分が限度。千里の道も一歩から、とはその稿に付けたタイトルでもあるが、こちらも同じで──それでも敢えて別のいい方を探せば、塵も積もれば山となる、か。この『大御所徳川家康』はTwitterで読了ツイートした後に感想文を認める予定でいる。
 そろそろ次の本を選ぼう。これもまた、至福の時。さっきまで自室に籠もって書架を倩眺めてあれこれ棚から出してぱらぱら目繰り、さてどうしようかなににしようか、と思案に暮れていた。日本史上の人物を描いた新書を3冊(村井康彦『藤原定家『明月記』の世界』と兵藤裕己『後醍醐天皇』、いずれも岩波新書)、寝しなに続けて読んできたから、次も日本史で、けれど人物中心ではなく特定の出来事や美術、或いは歴史全般にかかる本にしたいな、くらいしか考えず、選んで手にして目繰り、戻しては手にして目繰り、を繰り返し。
 あれやこれやを経て取り敢えず自室から持ってきた(=どうにか選べた)のが、山本博文『歴史をつかむ方法』(新潮新書)と水野敬三郎『奈良・京都の古寺めぐり 仏像の見かた』(岩波ジュニア新書)だ。
 どちらも買ってそのまま放置に等しい扱いをしていた。贖罪では勿論ないが、人物中心の本を読んできたから一旦ここでそれはリセットし、視点をすこし変えた日本史の本を読んでみようかな、と思うた次第。
 現行の、高校の日本史教科書(『改訂版 詳説 日本史B』山川出版社)も考えたけれど、今回は見送った。寝ながら読むには腕が耐えられそうにない、てふ消極的もやしっ子的理由による。そもそも寝転がって読むには難儀な判型、嵩だしね。寝落ちしたときの惨事を想像したら……咨!
 じゃあ蘇峰『近世日本国民史』でも良いじゃん、となりますが、こちらは引用史料の漢文が白文のままと云うこれまた消極的理由が手伝って、見送り。ちゃんと起きているときに読む本ですよ、このあたりは。
 ──『大御所徳川家康』読了にはまだ時間を要す。それまでにどちらを読むか、或いは他になるかもしれぬが、次の本を考えよう。──ちなみに奥方様はいま、赴任中にかの地で購入した、ロシア語の建築史の本を読んでいます。◆

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