第3659日目 〈高気圧酸素治療室から還りし者のモノローグ。〉 [日々の思い・独り言]

 2023年07月03日(月)19時47分……3時間半程前に、高気圧酸素治療から戻ってきた。
 ……これは息づまる時間だ。まるで「生きた埋葬」だ。酸素カプセルのなかにいる間、特に後半30分くらいになると胸が苦しくなり、これまでに観たドラマや漫画の生きながらにしての埋葬の場面を思い出し、棺に閉じこめられてそのまま土中に埋められる姿を想像してしまい、一刻も早くここから出してくれ、と口のなかで叫ぶ始末だった。カプセルの蓋が開いて検査室の電灯の明かりが頭上から挿しこんできたのに目を細めたときは、生きている幸福をしみじみと噛みしめたものだった……。
 が、この治療は10回1セットで残り9日間続くと聞いたときは、流石に目眩がして立ちくらみを起こしそうになったよ。あと9日──検査室から病室に戻る折、ナースから聞いたところによると、人によっては(というのは要するに治療の経過や症状如何によっては、という意味だが)10回も行うことなく終わる方も居られるという。理由は様々である。閉所恐怖症の方に当然この治療は不可能だ。高齢者の方(に限ったことではないが)で長時間、狭くて暗い場所に入っているのが苦しい、という方はお試し期間みたいな感じで早々に終わって、別の治療に切り替わる由。
 また、作業療法士さんのお話も加味すると、午前中に治療してその日の午後に退院、もっと極端なケースだと午前に治療、昼前に退院、ということもあるらしい。もっとも後者の場合、医事室が外来と並行して退院処理を行うことになるので、あまり推奨されてはいないようだ。平日午前中の病院の受付の混雑ぶりをいちどでも観察したことがある人なら、その場の光景を思い出して、ああ……と首肯できるはずだ。

 高気圧酸素治療とは、100%の酸素で充たされた高気圧酸素治療室へ一定時間入り、体内により多くの酸素を吸入して全身に行き渡らせ、低酸素状態を改善させることである。
 もう少し具体的にいうと、密閉された高気圧酸素治療室を100%の酸素で充たして、大気圧よりも気圧が2倍高い環境を作り出し、そのなかに90〜100分程度入っている間に体内へ酸素を取りこみ、血液により多くの酸素を溶かしこむ治療である。圧力が高くなると血液の液体成分である血清に酸素が溶けこむ(溶解型酸素)仕組みだ。
 高気圧酸素治療に要される時間は、約1時間30分〜1時間40分。内訳は──カプセル内の空気を入れ換えるのに約5-10分、1気圧上げるためにやはり5-10分、酸素治療自体に約60分、それが終えて気圧を下げるのと入れ替えに前述の時間を要す。計、約約1時間30分〜1時間40分。
 酸素治療の間は気圧の上げ下げがあるので、体の一部機能は飛行機に乗っているような感覚を覚える。つまり、内耳の圧迫、である。うまく耳抜きができないと、左右どちらか、或いは両方の耳が詰まったような感覚となる。それがどの程度の時間続くのか。人によりけりだが、病気に起因することではないから早ければ数十分で回復する人もいるし、その日の夜まで続いて翌朝になってようやく詰まりとオサラバできる人もいる。もっと長引く人もいる、つまり、数日とか。
 耳抜きする方法としては、欠伸をする、唾を飲みこむ、が一般的で、他にも水を飲むとか、鼻と口を押さえて耳から空気を出すようにしてみる、だとか、耳朶を引っ張ったり耳の下のあたり(胸鎖乳突筋、か)を押さえて軽く揉む、などいろいろな方法があるという。
 が、こういってはなんだが、どれを試しても「個人差があります」という註記からは逃れられまい。人によって最も良い耳抜きの方法は異なり、それぞれの人に合った方法があるのだ。ここに挙げた以外の方法を用いてうまく耳抜きできている人も、なかには当然いるだろう。
 わたくしは……脳梗塞や白血病を発症するより以前から、耳鳴りとはお付き合いがあるからなぁ。正直なところ、今更の感がある。

 さて、わたくしが初めてこの高気圧酸素治療に挑んだのは、上記した如く07月03日(月)夕刻。つまり入院翌日である。入院手続のパンフレットに高気圧酸素治療について説明した紙片が挟まっていたので、ああ自分もそのうちこれをやるんだな、くらいしか思うていなかった。始めるにしても、入院翌日にはまだやらないだろう……と楽観していたのだ。
 入院当日、わたくしはナースステーション正面の2人部屋に入っていた。同室者はなし。はじめての入院で個室同然の部屋で一晩を明かすのはちょっと心細いな、と思うていたのだが、その日の夜21時過ぎ(いい換えれば、消灯後の時間、である)、救急搬送されてきた男性が同室者となったことで、その心細さはひとまず解消。
 で、その男性が翌る日にこの高気圧酸素治療を行うことになった。日中のことである。ほう翌日でもこの治療を行うんだな、と内心思うた。それでもまだ、まさか自分も同じ日に治療を行うことになろうとは、夢に思うわけもない。治療室からぶじ帰還後、かれは看護師相手に、思っていた程ではなかった、(治療中は)YouTubeでM-1を観ていた、と語った。
 ……M-1? 治療中にYouTubeが観られるのか? どっか高気密の部屋に閉じこめられて、のんびり1時間強を過ごしているイメージが脳裏に浮かんだ。いまにして思えば、なんとまぁ極楽な、というところか。そんな治療なら早く受けたいな、と思うも仕方なしではあろう……。
 そうしてその日の夕刻に差しかかろうか、という頃。高気圧酸素治療室に行こう、と看護師さんから明るい声で誘われた。なんでも突然時間枠が空いたので、わたくしが呼ばれたそうだ。パジャマから検査着に着換えた検査室への道すがら看護師さんが想像していうには、外来の予約がキャンセルにでもなったのだろう、と。納得した。
 そうして2階の検査室、室内には担当の検査士が男女各1名、目の前にはカプセルが2台。向かって左側のカプセルに、寝台へ横になって入れられるわたくしである。男性に、音楽や映画など観ますか、と訊かれて、ああさっき同室の男性がいっていたのはこのことか、と合点しつつ、でもメガネも外しているから映像を観るって選択肢はないなぁ。では、とわたくしがリクエストしたのは、母生前の頃はときどき寝る際に聞いていたYouTubeの、〈ぐっすり寝られるBGM〉の類。DNAがどうとかなんとか謳っている、リラクシング音楽と映像である。映像はいらないから、音楽だけで……そう所望して、カプセル内に入った。
 初体験ゆえ最初の10分程度は物見遊山気分でカプセル内部を観察したり小窓から検査室内を眺めたりしていたが、それもすぐ飽きて、あとはひたすら瞑想と省察の時間──といえば聞こえは良いが、単に暇だったのである。
 やがて、わたくしは或ることに気が付いた。時間の間隔がまったくないのだ。あとになって小窓に時計が設置されていると知ったが、カプセルに入る際は知らなかったから、ひたすら忍耐の時間を過ごすことになったのである。おまけに、冒頭で書いたようにだんだん息苦しくなり、心拍も上がってくるのがよくわかり、ポオの短編や『CSI:科学捜査班』で印象的に描かれる〈生きた埋葬〉が思い出されて、自分がその状況に放りこまれたところを想像して、一刻も早くカプセルから脱出したくてならなかったのだ。だから、カプセルから出られたときの開放感と安堵、ラヴクラフトの小説を読んでいたからというわけではないが、名状しがたく筆舌に尽くしがたい歓喜、というより他にない。これは決して大仰な表現ではないのだ、モナミ。
 病室に戻ったわたくしは、さっそく対策を講じた(講じなければならなかった)。治療であるからカプセルに入るのは避けられない。しかし、カプセルの住人である間はYouTubeを使って時間を過ごすことができる。ならば、せめてそいつを使って、時間の経過がわかる〈なにか〉を視聴できるようにしよう。繰り返すが、メガネはカプセルに入る際外すことになるから、映像はダメ、音楽(音声)オンリーで。
 ……そうやって辿り着いたのが、ベートーヴェンの《第九》である。時間の経過がはっきりとわかるのは、(わたくしの場合)クラシック音楽以外にない。そのジャンルから自分が聴き馴染み、かつ演奏時間まで或る程度熟知しているのはなにか? オペラはNG。カプセル内に2時間もいるなら話は別だが、1時間である。所詮一幕が終わって二幕目に入ったところで中断であろう。それにオペラはやはり、映像と字幕附きで観たい。為、却下。ならば? 誰が演奏しても60分以上はかかり、かつ割に最後の方まで進んでいる曲といったら、なにがある? 考え続けて眠りこけ、翌る朝、目覚めた途端に唐突に思い浮かんだのだ、そうだ、《第九》があるじゃん、と。
 この思い着きは我ながらなかなかのものだった。特に演奏者を指定する必要もない。《第九》以上にわたくしが熟知した交響曲は他に、ブラームスしかない(が、4つある交響曲のいずれも60分以内で終わる)。最速を謳われた某指揮者の《第九》でさえ、たしか60分弱だ。YouTubeで視聴できるたいていの《第九》ならば、第4楽章の合唱に入るあたりまでは辿り着くだろう……。
 この目論見は、成功した。CMがどれだけ入るかで左右はされるが、今日2023年7月8日まで6回、この高気圧酸素治療を行っていて大体の時間経過もわかるようになったし、第4楽章の中盤──テノールが入り合唱がケルビムの栄光を讃美するあたり──まで辿り着けることもわかった。さすがのベートーヴェンも自分の曲が、治療の際の時計代わりに使われるとは想像だにしなかったであろう(時計繋がりでハイドンも一瞬だけ考えたが早々に却下した。いったい何回繰り返して聴けばいいんだ)。
 爾来、わたくしは健やかにカプセル内での時間を過ごしている。昨日と今日は第1楽章途中、もしくは第2楽章途中から第3楽章中葉まで眠りこけて過ごしている……検査の順番が朝イチというのも関係しているだろうが、それだけここで過ごす時間に馴れた、ということだ。
 長くなってしまった。そろそろ擱筆としよう。本稿は高気圧酸素治療の初日に、まさに部屋に戻って夕食を摂ったあとに最初の段落を書いたが放り出してあったものを、土曜日の14時台から16時台までの時間を使って書いた。治療は、あと4回ある。途中で退院と相成ったとしても確実に1回はある。それまでにこの《第九》の指揮者と独唱者が誰であるか、オーケストラと合唱団はどこか、何年何月にどこで収録されたか、等々検査室の担当の方にお訊きせねばならない(呵々)。でも、忘れてそのまま退院しそうだなぁ……(※)。◆


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